days of cinema, music and food

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Hugo


公開初日の映画の日レイトショウにて、『ヒューゴの不思議な発明』3D字幕版を鑑賞しました。
映画を観終えてから気付きましたが、いやそうですか、配給会社はわざと映画の日を初日にしたのですね。

1930年代初頭のパリ。
駅時計台に隠れ住む孤児ヒューゴ(エイサ・バターフィールド)は、人々に気付かれずに時計の調整を行っていました。
ヒューゴは父(ジュード・ロウ)の形見であるからくり人形を修理していたのです。
ある日、駅構内の売店から部品調達の為に盗みを働こうとしたところ、店主である老人ジョルジュ(ベン・キングズレー)に捕まり、父の遺したノートを取り上げられてしまいます。
実はからくり人形はジョルジュと繋がりがあったのでした。


マーティン・スコセッシは大好きな監督ですが、近年は『ギャング・オブ・ニューヨーク』『アビエイター』等、面白くともいささか老成した感がありました。
以前のような若々しさが薄れていたのは事実でしょう。
でも本作は3Dという新たなギミックを手に入れて、スコセッシ自身が嬉々として映像と戯れています。
撮影監督ロバート・リチャードソンと徹底的に3D撮影を研究したのは、画面を見ても明らか。
昨今の3D映画が「奥行き感」重視の映像なのが多いのに対し、本作はそれプラス「飛び出し感」も重視。
その意味では古風な3D映画とも言えるのです。
一方で3Dならではの人工的映像感までも利用しているのも上手い。
ダンテ・フェレッティの絢爛たる作り物感溢れるセット等と相まって、独特の作品世界を構築していて素晴らしいものとなっています。
3D映画の今のところ決定版、これは2Dで観たら魅力半減になると言っても過言ではありません。
また凝りに凝ったサラウンドの各チャンネルを使ったサウンド・デザインも、作品世界の構築に貢献していました。


宣伝ではファミリー向け冒険映画かのように宣伝されていますが、さて実際に観てみると相当にマニアックな内容でした。
スコセッシにしては珍しく暴力描写はありませんし、ヒューゴと共に謎解きに同行する少女イザベラ(クロエ・グレース・モレッツ)という少年少女が主人公だし、映像は絢爛豪華だし…なのにです。
駅公安官(サシャ・バロン・コーエン好演)によるヒューゴの追跡の描写など、お子様向けスラプスティック・コメディを意識した感もありますが、映画は後半に至ってスコセッシの映画愛が炸裂する展開となります。
これは子供が観て面白がれるかどうかはかなり疑問ですね。
ヒューゴの不思議な発明』は、映画好きの大人の為の映画なのです。


作品世界の根幹を成すのは映画への夢、創作への希望、創作者達への敬意です。
劇中ではスクリーン上に映し出された「映画」に人々が驚く場面がありますが、その当時の観客の驚きを再現すべくスコセッシが用いたのが3Dなのです。
この発想は素晴らしい。
映画の内容と技法としての3Dが密接に結び付いているのです。
特に後半においては、映画に対するスコセッシの愛情と希望、偉大なる先人への敬意が託されており、これはスコセッシの極めて個人的な映画でもあると判明します。
そこに感動するか白けるかで映画への好悪が分かれますが、少なくとも私は昨年公開された『SUPER8/スーパーエイト』よりも楽しめました。
この映画が素晴らしいのは、映画だけではなく、物語を紡いできた創作者達へも敬意を払われている事です。
ヒューゴと友人になる少女イザベラは読書好きとして登場します。
彼女が通う書店にはいかめしい老店主(クリストファー・リー)がおり、2人は親しい様子。
その後の老店主のヒューゴへの接し方や、映画のラストに映し出されているものからして、本作は本や創作者全般にも愛情を注いでいます。


このような要素にも関わらず、映画には幾つかの欠点が目立ちます。
クライマクスではヒューゴとイザベラが実質不在である事。
しかし真の主人公が誰か、何かを考えると、これはやむを得ません。
また、129分という上映時間は少々長く感じられ、あと15分短くして凝縮させても良かったと思います。


面白いのは、やはりスコセッシは正統派娯楽映画は撮れない、と苦笑させられた事。
終盤の時計台での追跡劇など、娯楽映画監督だったらたっぷりと腕を奮ってスリルとサスペンスを盛り上げる筈ですが、切れ味鈍く盛り上がりません。
ディパーテッド』でもオリジナル版『インファナル・アフェア』で盛り上がった作戦場面が、まるで緊張や盛り上がりを欠いていたのを思い出しました。
思えばスコセッシ作品でハラハラしたのは、『タクシードライバー』のハーヴェイ・カイテル、『レイジング・ブル』のロバート・デ・ニーロ、『グッドフェローズ』『カジノ』のジョー・ペシ、『ギャング・オブ・ニューヨーク』のダニエル・デイ・ルイスなど、キャラクターに負うものが多かったです。
彼らが登場するだけで画面に緊張感が走っていました。
対して大型スリラーの『ケープ・フィアー』は、デ・ニーロの怪演も含めた明らかなやり過ぎ感が楽しめたものの、緊張感は大した事はありませんでした。
これらは今更言うのも野暮ですが、スコセッシが伝統的娯楽映画を撮れないからです。
よって本作に冒険やアクションを期待すると、肩透かしを食らうでしょう。


それでも私はこの映画が好きになりました。
幸福だった時代とその喪失と痛み、その後の癒しを描いていて、登場人物皆に幸せが訪れるハッピーな映画。
見終わって時間が経つとジワジワと来る映画。
新しい器に入れられた、じっくりと熟成された物語も悪くないものです。