days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

Stranger Than Fiction


チョコレート』、『ネバーランド』などの佳作を発表しているマーク・フォースター監督の新作『主人公は僕だった』初日の鑑賞です。
近所の新しく出来たシネコンは夕方の回、20人強の入りとは少々寂しい。
ですが主役が日本では全くの不人気なコテコテなコメディアン、ウィル・フェレルでは致し方無いでしょうか。


以前ご紹介した俺たちニュースキャスター』や『プロデューサーズ』などの、およそ日本人好みとは言い難いオーヴァーアクトがこの人の持ち味です。
190センチを超える身長にクドい顔付きもさることながら、大げさでベタなアホ演技がこの人の真骨頂でしょう。
ズーランダー』における悪役の怪演など最たるものです。
これらに比べれば『奥さまは魔女』でのニコール・キッドマンの相手役など、随分と大人しいものでした。


ところが本作は随分と違います。
神妙にして抑えた演技。
パン屋のマギー・ギレンホールに"フラワー"を贈る場面など、ロマンティックな演技も披露しています。
生真面目で平凡な国税庁の役人の脳内に、ある朝突然女声のナレーションが聞こえる、などという突拍子も無い題材からすると、もっと大げさ演技も出来る筈なのに。


息の長い活躍の為に、コメディアンがシリアス演技に転向するのは、今に始まったことではありません。
トム・ハンクス然り、ジム・キャリー然り。
ウィル・フェレルもきっとそうなのでしょう。
ですがこの映画をドタバタにせず、虚構と現実という凝った構成の脚本をファンティックでファニーな作品に仕上げたのは、マーク・フォースターの意向なのでしょう。
だから最初に北米の予告編を見て大爆笑を期待していた向きからすると、多少物足りなさも感じつつも、傲慢さのかけらも無い丁寧で謙虚で真摯な作りには好感を抱いてしまいます。
そして洒落ていて品のあるこの映画のスタイルは、居心地の良いものとなっています。


例えば生真面目で、歯磨きのブラッシングからバス停までの歩数までもが毎日決まっている主人公の思考回路を示す、画面に入る数字のキャプションを多用した絵作りはどうでしょう。
あるいは挿入歌曲のセンス、例えばヴァンゲリスの『海辺の少女』を流すといった(この曲は元々別の映画の音楽です)辺りはどうでしょう。
または色使いや動きからしてモダンでありながらどこかクラシックを感じさせる、エンドタイトルはどうでしょう(この映画、最近の映画で時たまあるように、タイトルそのものがラストまで出てきません)。


まるで自分が小説の主人公になってしまったようだと言うウィル・フェレルに、真剣に付き合うダスティン・ホフマンの文学部大学教授や、気の強い、でも心優しいアナーキストマギー・ギレンホール、ライターズ・ブロックに落ち込んで産みの苦しみに悶えるエマ・トンプソン、その作家をアシストしようと出版社が送り込んで来たクイーン・ラティファなど、登場人物は皆基本的に真面目です。
他人を蹴落として自分が幸福になろうという人間は、この映画の世界には居ません。


映画の持つ品の良さはここら辺にあり、そこが居心地の良さにも繋がっているようです。


それにしてもマギー・ギレンホールはセクシーでしたね。
いや、一般的な基準で言えば決して美人ではなく、座ったタレ目に小さいアゴという特徴的な顔付きではありますが、雰囲気があります。
元々演技も上手いのですが、この映画ではツンデレなところも含めて自立した女性でありながら可愛いという、得な役柄でした。
それをしっかりと物にするところが、さすがと思わせます。
バットマン ビギンズ』続編でのケイティ・ホームズの後釜(そういや2人ともタレ目ですな)も、期待出来ますね。