days of cinema, music and food

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Apocalypto


今日は会社の創立記念日なので、明るい時間帯に帰宅出来ます。
となると映画ですね。
メル・ギブソンの監督作品『アポカリプト』を観に行きました。
18時半からの回は十数人の入りです。


古代マヤ文明を題材にした映画のプロットは単純明快。
高度に発達しつつも生贄などの野蛮な文明都市、マヤの都に囚われた主人公の若者ジャガー・パウ(「ジャガーの足」の意味)が、神に捧げられる寸前に命拾い。
辛くも脱出しますが、執拗な追っ手から逃れるべく走る。


冒頭は主人公の村の描写から始まり、野趣溢れる生活を送りながらも平和な様子が描かれています。
ところが突如現れたマヤ族によって村は殺戮の場となり、主人公らは都まで連れて行かれる描写が延々と続きます。
メル・ギブソンの残酷タッチが強烈で、観ていて緊張感満点です。


面白いのは、マヤの都に徐々に近付くに連れて、文明や街並みが変わっていくところ。
こういった描写が非常に映画的で、興味深いものとなっています。


2時間10分強の映画の真ん中辺りまでがこんな感じ。
高度な特撮やメイクアップ技術で、残忍極まる生贄の儀式なども本格的に描かれ、心臓掴み出しと首チョンパも都合2回観られます。


映画の本当の見所はこれからです。
森を走って逃げまくる主人公と、同じく走って追っ掛けて来るマヤ族。
後半1時間は殆ど台詞も無く、延々と追撃アクションが繰り広げられます。
そして主人公は重症を負いながらも故郷の森に帰ってくると、勝手知ったる自分の庭で逆襲に転じます。


どんな手段を使って反撃していくのかはお楽しみとして、とにかく全編に渡るメル・ギブソンの肉体信仰が強烈な作品です。
単純にアクション映画としても面白いのですが、登場人物の存在感満点の肉体と、その破壊描写が目立ちます。


ジャガー役ルディ・ヤングブラッドの若く引き締まった体躯。
追跡側の親分ラオウル・トルヒーヨの老練かつ重量感のある体躯。
彼らの肉体が起こす躍動感が、映画を前進させるエンジンとさえなっています。
特撮アクション全盛のこの時代に、「300」も含めたアナクロな肉体信仰が復活するのは面白い傾向ですね。


そして残酷描写。
死屍累々たる首無し死体が大地を埋め尽くす描写もそうですが、近年稀に見る残酷度のハリウッド映画は、痛そうな場面の連続。
効果音もリアル。
こういった趣味は前作『パッション』でも顕著でしたが、これが監督としての個性なのでしょう。
作家性が前面に出ている映画であります。


しかしこの映画が娯楽映画としても成立しているのは、単なる残酷趣味ではない娯楽要素も持ち得ているからです。
主人公が故郷に戻ろうとするのは、マヤ族に見つからないように縦穴に身重の妻と幼子を隠したから。
食べ物も飲み水も無い状態な上に、おりしも雨季到来の頃。
大雨が入ったら、愛する妻子は確実に死んでしまう。
だから早く故郷に戻らねばならない。


こういった時間サスペンスも盛り込み、後半は盛り上がります。
特にクライマックスは幾つもの障害がこれでもか用意され、手に汗握ります。


ジャングル内での疾走感溢れるアクションは、技術の賜物でもあります。
ハイビジョン撮影されたアクションは、照明やフィルムの感度からして、恐らくフィルム撮影では不可能だったでしょう。
肉体信仰であっても技術は最新版というのがハリウッド映画でもあります。


演出面や技術面だけではなく、愚直なまでに単純明快かつ効果的なピンチをこしらえた脚本を共同で執筆したメル・ギブソンに、趣味性と娯楽性を兼ね備えた映画を作り上げるしたたかさを感じたのでした。


メル友のジェームズ・ホーナーの音楽は、これまた野趣溢れるもの。
ヴォーカリストの1人は、エンドクレジットにパキスタンのミュージシャン、ヌスラト・ファテー・アリー・ハーンがクレジットされていたような。
そう、ピーター・ガブリエルのアルバムもお馴染みの彼です。
既に死去しているので、見間違いでなければ遺されたヴォーカル音源を使ったのでしょうか。