days of cinema, music and food

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The Magic Hour


期待の三谷幸喜脚本&監督作品『ザ・マジックアワー』初日に行って来ました。
土曜夜の21時25分からのレイトショーは、シネコン最大の劇場なのに4割程度の入りと、テレビでばんばん宣伝しているのに、少々寂しい入りです。


映画は三谷作品初のスコープ画面。
私個人が大好きな2.35:1の横長映像を、さてどのように使いこなすか。
映画ならではの醍醐味ですからね、巨大ワイド映像は。
結論から申し上げると、これ見よがしの構図は無くとも頑張りましたで賞、といったところでしょうか。
映画の内容の邪魔にならない程度に使っていたように思います。
それでも私が物足りなく感じたのは、結局は三谷作品につきまとう舞台臭が濃厚で、「映画らしさ」が希薄な点にあったようです。


三谷幸喜脚本&監督作品は全て劇場で観ていて、処女作である『ラヂオの時間』は大爆笑したものでした。
特に帳尻合わせの為に、皆が知恵を絞って強引にその場しのぎをしてしまうという終盤の滅茶苦茶ぶりは、コメディ映画ならではの醍醐味・高揚感さえありました。
しかしながら『みんなのいえ』、『ザ・有頂天ホテル』と、作為の窮屈さばかりが目立つようになるに連れて、笑いも薄まって来ました。


いや、三谷作品は舞台作品も含めて、元々作りこんだ笑いが特長です。
役者の個性を生かし、あるいは新たな個性を引き出し、役者演ずる登場人物の台詞や行動が笑いを巻き起こし、てんやわんやしつつも、最後は綺麗にまとめまる。
作り込んだ脚本で役者の力を出してもらう点ではどれも首尾一貫していて、それが彼の作品の強みでもあります。
しかし映画監督作品を観ていると、どうも「舞台劇」の世界から抜け切れていない、「映画」の世界に入りきれていない恨みがあります。


彼の映画が舞台臭から逃れられないのは、どこか映像を信用していないからではないか、と今回の映画を観て思いました。
映画は映像と音から成り立つものです。
そこで如何に観客を説得するかに掛かっています。
しかし全てを台詞で説明してしまう『ザ・マジックアワー』は、舞台劇の映像版に見えてしまいました。
それは三谷作品に共通する舞台劇調の演技もそう。
役者の繊細な表情は台詞に気付きにくい舞台と違って、映画は監督の視点によって役者の演技が切り取られます。
映画が舞台劇調ということは、監督の視点が舞台監督のままであるということ。
三谷幸喜はまだまだ、映画作りを理解していないようです。


映画自体は三谷ルールとでも言うべき規定に則ったもので、リアリズムとは遠い内容でした。
時代も現代と昔の間のような、不思議な舞台設定。
どんなにギャングをコケにしようとも殺されず、悠長なもの。
ですから観客側にも「これはこういうルールの映画なんだ」と自分を納得させる、あるいは想像力を使う義務があります。
この点でもやはり舞台劇調となっています。


今度こそは「映画」になっているのではないかと毎回期待しつつも、どこか「舞台」調で裏切られてしまう。
その点では今回も残念でした。


しかしながらこれがコメディとして笑えるかどうかというと、これがかなり爆笑させられます。
笑い過ぎて涙が出てしまったくらい。
特に中盤からは可笑しくて可笑しくてという場面が続出します。
これは主人公を演じる佐藤浩市によるところも大きい。
普段は抑え目の演技をする彼が、カメラが回るとクサい芝居をする売れない役者という設定なので、その大袈裟な演技がいちいち可笑しい。
加えて三谷作品ならではの「強引なその場しのぎ」が頻出するので、笑いも止まらなくなります。
このままの調子で『ラヂオの時間』のように最後まで盛り上がってくれれば、と期待していたのですが、最後はちょっと尻すぼみでした。


そのクライマクス前、撮影用語と最後の見せ場としての「魔法のような時間」を掛けて期待させるのですが、期待値ほどには行かず。
これで大爆笑且つ観客をころりと騙してくれたなら、多少の演劇調を差し引いても素晴らしいコメディになったのに。
ギャングたちを騙す手口が、観客をも騙す手口になっていたら。


どうやら私は、もう少し大人の映画を期待していたようです。