days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

In the Valley of Elah


土曜日は『告発のとき』初日でもありましたので、近所のシネコンに行きました。
19時からの回は十数人程度の入り。
初日でも入りが寂しいのは、食事どきだからでしょうか。
あちこちのシネコンを利用していますが、食事どきの回はがらがらになる傾向にあるようです。
渋谷なんかは違ったんですけれどもねぇ。
都心部と郊外では、夕食どきの映画館利用率が違うのかも知れません。


さて映画は、今尚続いているイラク戦争を題材にしたミステリ/スリラー仕立てのドラマ。
元軍警察だったトミー・リー・ジョーンズの元に、イラク戦争から帰国した息子が行方不明だと、軍部から連絡が入ります。
いつの間に帰国していたのか。
仲の良かった親子だったのに、連絡1つよこさないとはおかしい。
妻のスーザン・サランドンを家に残して、父親は息子の行方を追います。


脚本はポール・ハギスらしく、入り組んでいても最後は綺麗にまとまる構成です。
言わば娯楽ミステリ仕立てなので取っ付き易い映画なのですが、投げ掛けるテーマは重い。
主人公が刑事シャーリーズ・セロンの家で夕食をご馳走になり、彼女の幼い息子に寝物語として話して聞かせる場面があります。
少年が読んでとせがむものの、主人公がページをめくって「内容が理解出来ない」と投げ出すのがC・S・ルイスの『ライオンと魔女』なのが面白い。
少年の名前がデイヴィッドなので、その名付けられた由来を知ってるか、と主人公は言います。
その話される物語は、王になる前の少年ダビデゴリアテの物語。
ダビデが巨人を倒したのは「エラの谷」。
この映画の原題名は『エラの谷にて』と言います。


主人公は欠点はあるものの、古き良きアメリカ人として描かれます。
彼は軍隊に忠誠を誓い、規律を重んじて生きて来ました。
常に整理整頓、女性の前では言葉遣いも丁寧だし、下着姿を見せるなどもってのほか。
安モーテルではベッドを整え、スラックスを机の角にこすり付けてラインを付けます。
刑事がやってくると、まだ生乾きのシャツを無理して着ます。
ストリップバーでのトップレス姿の女主人には「マダム」と呼びかけます。
アメリカの民主主義を信じ、軍隊の正義を信じ、アメリカ国旗を信じています。


しかし現代の戦争では、アメリカの若い少年のような兵士たちは、姿の見えない巨大な敵と戦っている。
その実態も知らなかったし、心と身体の悲鳴が聞こえていた筈なのに、自分には聞こえなかった。
主人公の後悔の念はさぞかし重かったことでしょう。


映画はやや散漫なところもあるし、ハギスの演出にはスリラーらしくもう少し切れがあっても良かったし、鑑賞後にもっと重さや苦さが残るものであっても良かったでしょう。
そういった瑕疵はあるものの、観る価値のある作品になっていると思いました。
ラスト・ショットの国旗に込められたメッセージは深刻です。


トミー・リー・ジョーンズが素晴らしい。
こういった演技はさすがに上手いです。
実直で飾り気が無い、昔気質の男。
往年は得意だった攻撃的演技だけでなく、受けの演技でも見せてくれます。
特にクライマクスでの取調室での演技、様々な思いが入り混じった表情が印象的です。
新鮮味はありませんが、円熟ある演技は観ていて安心感があります。


シャーリーズ・セロンはすっかり演技派になりましたねぇ。
職場のセクハラに負けず、ストレスを抱えながらも正しいことを行おうとするシングルマザーの刑事役を好演していました。
初期の作品での無意味な脱ぎっぷりの良さも、今となっては微笑ましいのかも。
化粧っ気無しのすっぴんに近いメイクでやつれ顔、最初はセロンに見えなかったのですが、やはり美しい。


他にジョシュ・ブローリン(『アメリカン・ギャングスター』、『ノーカントリー』と続けて口ヒゲかよ!)、ジェイソン・パトリックフランシス・フィッシャージェームズ・フランコと、出番が少なくとも役者を揃えています。
当初はハギスの脚本にどこの映画会社も興味を示さなかったのが、脚本を読んだクリント・イーストウッドの後押しで映画化が進んだとのこと。
なのでクリントの元恋人であるフィッシャーが登場しているのかな。


そのクリントは「Special Thanks」としてクレジットされています。