days of cinema, music and food

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Ponyo on the Cliff by the Sea


宮崎駿の新作『崖の上のポニョ』初日に出掛けました。
15時35分からのシネコンは、一番大きい劇場にも関わらず6割程度の入りとは意外。
2館上映というのもありましょうが、以前ほどの観客動員についての神通力が無くなったということなのか。
はたまたここのシネコンだからなのか。


そして全く予想していなかったのですが、観客が子供だらけだったこと。
上映中に泣き叫んで親ともども退席するのも何組か。
こういう環境で映画を観るのも相当に久々でした。


さて映画はと言うと、諸手を挙げて「傑作だ!」と言う気にはなれませんでしたが、久々に肩の力を抜いて単純に楽しめる宮崎作品だったように思えます。
但し、近年顕著な全てを説明する訳でもない、言いようによっては不親切な語り口や、活劇調になりそうな場面もそうはしないなど、近年の宮崎作品ならではの特徴も備えています。


例えば、序盤における岸壁沿いの道路を車で走る場面。
ここは従来だったら活劇になってしまう場面です。
ですが「奇妙なスリル」程度に収めてしまって不必要な観客サーヴィスすら拒否しているようにさえ見えます。


誰もが素晴らしい、印象的だと述べそうな、波と車のチェイス場面。
これは劇中において全く状況を変えて2回登場するのですが、どちらも文字通り絵が走り出す、カタルシスがある場面です。
ですが従来だったらもっと盛り上げるのではないでしょうか。
これは単純に作家が枯れたから、で片付けられないように思えました。
つまり、テーマから逸脱しない程度のアクション場面にする、という意思の表れではないか、と。


この映画のテーマとは、大きく2つあるように思えました。


1つは約束を守ること。
5歳の少年は「ポニョを守るからね」と繰り返し言います。
純粋な彼が守り通せるのかというスリルは、「どうせ守るんだろ」という斜に構えた観客にとっても微妙なスリルを提供します。
最後には彼に人類の未来や希望さえ託しているようにさえ見える。
宮崎駿は人類に失望・絶望しつつも、そこを突き抜けてオプティミストになってしまったのではないでしょうか。


もう1つのテーマは、やりたいことをやり通すこと。
魚だった少女は少年に恋し、人間になるんだ!とばかりに大騒動、ついには地球規模の変異にすらなりかねない災害まで引き起こしてしまう。
観ようによってはかなりわがままですが、映画はそのわがままや、引き起こした変異にすら温かな眼で見つめています。
災害の結果でさえ、実際に起きたら未曾有の死者が出ただろうけれども、劇中では皆助かってのんびりしたもの。
異世界と化した日常も、楽しさに溢れているのですから。


それにしても。
毎度ながら環境破壊をテーマに盛り込むこの頑固さ見上げたもの。
この首尾一貫した主張をここまで繰り返し、繰り返し行う人は、そうは中々居ません。
序盤における海底もゴミだらけの描写など、本編とは関係無いように見えるにも関わらず、しっかり印象に残ったりします。


アニメーションとは動く絵だという、至極当たり前のことを今更ながら正々堂々とやっているのはさすが。
手描きの線が醸し出す柔らかさは、近年のフルCGIアニメ全盛時代において貴重なもの。
宮崎駿の奇想天外な発想力、想像力を支えています。


語り部としての宮崎駿は、終盤に掛けての盛り上がりを意図的に放棄し、最後もあっさりと終わらせてしまいますが、もはや観客サーヴィスよりも「こういうのも良いじゃないか」という開き直り具合が洒脱。
ここに往年のパワフルな作品を知る者にとって、面白いと思うのか、枯れて詰まらないと思うようになるか、意見が分かれそうではあります。


主人公の少年少女の声優たちは健闘していると思いましたが、所ジョージの活舌悪く感情の起伏も無い大根振りには辟易してしまい、鑑賞の妨げとなるノイズにしか聞こえませんでした。