days of cinema, music and food

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"The Fly" on Blu-ray Disc


1年以上前に購入したBlu-ray Discをようやっと観ました。
デヴィッド・クローネンバーグの『ザ・フライ』です。


この映画を観直すのは、恐らく20年振りくらい。
1986年の劇場公開当時に1度観て、その後ゴールデン洋画劇場だったかの地上波放送でも1度観ています。
彼最大のヒット作だし、事実上代表作ですが、当時はクローネンバーグにしてはいささか物足りない映画だ、と思ったものでした。
その理由として非常に「観易い」映画になっていたからでしょう。
私としては『ヴィデオドローム』(ビデオドローム)の難解なエログロ世界が強烈だったので、その余波を受けて色眼鏡で観てしまったのかも知れません。
さらにはオリジナル版の『ハエ男の恐怖』や、ジョルジュ・ランジェランの原作短編『蠅』の記憶が薄れたのもありましょう。
実際、グロテスクな場面も多いのに、ホラーと恋愛ドラマの融合がスムースに上手く行っているのに驚嘆します。
肉体とテクノロジーの融合と、それがもたらす悲劇という、お得意のテーマも盛り込まれていて、クローネンバーグらしい作品に仕上がっています。


1980年代前半から半ばのクローネンバーグは、『スキャナーズ』、『ヴィデオドローム』、『デッドゾーン』、本作と、SFホラー映画を連発しながらも、特定のジャンルファンだけではなく、一般映画を観る観客をも楽しませる「接点」を作るのがうまかったように思えます。
しかしこの後の『戦慄の絆』、『裸のランチ』といった作品以降はいささかテンポも悪くなり、余り好きになれませんでした。
以降の『エム・バタフライ』と『スパイダー/少年は蜘蛛にキスをする』などは、余り好評でなかったものだから見逃してしまいましたし。
クラッシュ』はホリー・ハンターはミスキャストと思いつつ、面白く観られたのですが。


しかし『イグジステンス』という『ヴィデオドローム』の娯楽スリラー版を監督し、軽いけれども中々楽しませてくれました。
そして『ヒストリー・オブ・バイオレンス』と『イースタン・プロミス』という2本の傑作スリラーで、クローネンバーグはまた復調したようです。


と、このように観続けて来た好きな監督作品、久々の『ザ・フライ』との再会は、今までで一番楽しめた鑑賞でした。
かつての名画をホームシアターで観られる幸せ。
こんな時代が来るとは、本当に当時は思いもしませんでした。
そして今更ですが、これは傑作です。


かつては誰にも感情移入できないと思っていた映画も、今見直すと色々と納得できるものがあり、主要登場人物3人が身近に感じられるようになりました。
主人公である天才科学者セル・ブランドルが、嫉妬から自ら実験台となって悲劇的運命を辿る様と、感情の変移。
ブランドルに密着取材を続ける内に彼に惚れてしまい、しかし愛する男性の変容と末路を見届けることになるヴェロニカ。
ヴェロニカの恩師であり愛人だったが、別れた今も彼女に執着するスタシス。
冷徹な印象のあるクローネンバーグ映画なのですが、恋愛を扱っているからか、冷徹であっても非常に人間臭く感じられたのです。
今回の鑑賞で映画が近寄って来たように感じられ、少々の驚きを得られました。


長い期間を置いて観ると観方が変わるのは、それだけ奥の深い映画とも言えます。
公開当時のパンフレットを引っ張り出すと、朝日新聞の映画批評切り抜きも挟まれていました。

曰く「特異な時代の刻印」。
エイズの時代の映画だといった旨が書かれていましたが、記者は20年後も十分に傑作として通じる映画になるとは思っていなかったのかも知れません。
だから映画は面白い。
これだけシンプルで、無駄が無く、必要な場面しかないように思える映画であっても、観終えてから色々と考えてしまうのは、普遍性があるからですね。


クローネンバーグらしく凝ったタイトルデザインの後は、いきなりジーナ・デイヴィスジェフ・ゴールドブラムの出会いの場面になります。
無駄は一切省く映画らしい、あっさりした冒頭。
やがて2人の関係が深まって来ますが、これだけ可愛らしく撮られたジーナ・デイヴィスは珍しいのではないでしょうか。
身長180cm以上ある彼女に対し、ゴールドブラムは190cm以上もあるのも理由の1つでしょうが。
ゴールドブラムも天才風でありながらユーモラス。
デイヴィス演じるヴェロニカが惚れてしまうのも納得がいきます。
普通ならば恋愛シークェンスももう少し長く描くのでしょうが、2人がネックレスを買う短い場面くらいで、後は実験関係の場面のみ。
一方、ヴェロニカの元恋人ジョン・ゲッツ身長188cmは未練たらたらで、いかにも嫌らしい男…に見えて、まぁこういう人もいるだろうにと納得のいく範囲の人物像。
この3人の三角関係がドラマにアクセントをもたらしています。


この映画で1番印象に残るのは、精神も肉体も崩壊、もしくは新たに別のものに変わりつつある人を、どこまで思うことが出来るか、ということです。
ジーナ・デイヴィスは後半では殆ど涙にくれている印象が強いのですが、一本調子になることなく、良い演技を見せてくれたと思います。
対するゴールドブラムは、衝撃、拒絶、受容とそれぞれの精神状態を巧みに演じていて、これは間違いなく彼の代表作です。


ハエと融合したブランドルフライと化して行く場面は、クリス・ウェイラスによる特殊メイクが見もの。
かすかに肌に異変が起きているところから始まり、終盤のグロテスクな全身スーツ、メカニカルな最終形態と、今観てもかなり凝ったメイクになっています。
ウェイラスはディック・スミスがメイク監修したクローネンバーグのヒット作『スキャナーズ』の頭部破裂メイクで一躍有名になった人。
それを観たスティーヴン・スピルバーグが、自作の『レイダース/失われたアーク』のクライマクスにおける頭部崩壊場面をこさえて、ウェイラスを抜擢したのは有名ですね。
クローネンバーグとは『裸のランチ』でも組み、本作の続篇『ザ・フライ2/二世誕生』では監督とメイクを兼任しましたが、映画の評判は散々でした。
私はテレビ放送版を観ただけでしたが、悪評を事前に知っていたからか結構楽しめました。
同作は売れる前のフランク・ダラボンが脚本を書いていたんですよね。
ウェイラスは近年名前を聞かなくなりましたが、『遊星からの物体X』のロブ・ボーティンといい、ウェイラスといい、1980年代のスター・メイクアップ・アーティストは今は何をして生活しているのでしょうか。
ボーティンの師匠リック・ベイカーは大活躍していますが、CG全盛の現代では、生き残れるメイク・アーティストは一握りなのでしょう。


ハワード・ショアによる少々大仰なスコアも素晴らしい。
美しくも悲劇と恐怖を感じさせる旋律が耳に残ります。
ショアのサントラを買ったのはこれが初めてで、LPを繰り返し聴いたものです。
楽曲もロンドン・フィルの演奏も素晴らしいのですが、1曲1曲が短いものばかりなので、アルバムとしては少々不満が残りましたが。
後にテレビ放送で『スキャナーズ』を観たら、そっくりなテーマ曲に仰天。
但しあちらは低予算映画だからか、シンセサイザーを前面に押し出していましたが。
ザ・フライ2/二世誕生』ではクリストファー・ヤングがスコアを作曲していて、このカップリングCDは今でも入手可能。

The Fly

The Fly

ヤングのスコアはさらに大袈裟だったと記憶していますが、ちょっと欲しいかも知れません。


本作はメル・ブルックスの製作会社ブルックスフィルムの映画。
同社はデヴィッド・リンチの『エレファント・マン』も製作しているので、怪奇趣味の会社の印象が強い。
ブルックス自身も『ヤング・フランケンシュタイン』なんて快作を監督しているので、やはり彼の趣味なのではないでしょうか。


ところで本作は昨年、クローネンバーグ&ショアのコンビで何とオペラ化されています。
タイトルは『The Fly The Opera』。

さらにはクローネンバーグ自身による本作のリメイク企画まであるとか。
余程お気に入りなのでしょうが、『イースタン・プロミス』続篇もクローネンバーグ&ヴィゴ・モーテンセンのコンビで製作されるという企画まであり、続篇にまるで興味が無かった監督とは思えません。
現代ならば特殊メイクよりもCG多用になるのでしょうけれども、彼独自の内臓趣味をCGで描けるのかどうか。
実現するかどうか分かりませんが、少々心配でもあります。
ひょっとしてオペラ版の映画化なのでしょうか。
かつてはフィリップ・K・ディックの傑作『高い城の男』映画化の企画なんてのもありましたが、個人的にはそちらを観たいです。


さてBDとしての品質です。
画は新作と比較するのは厳しい。
フィルムグレインも結構あります。
しかし解像度も発色も悪くありません。
140インチでも全く問題無し。
少なくとも現在観られる最高の『ザ・フライ』と言って良いのではないでしょうか。
音は冒頭のハワード・ショアのスコアが割れ気味、低域不足でさすがに厳しい。
しかもそのシークェンスでは曲が殆どフロントからしか聞こえないので、「サラウンドは余りしないのかな」と思いきや、ショック場面などでは盛大にサラウンド側に音を回します。
元々はアナログ2chのドルビーステレオで、当時の比較的予算のあるSFホラー映画の音作りという興味もありますね。


特典はクローネンバーグ音声解説や特殊メイク映像など、結構ありそう。
まだ殆ど観ていないのですが、かなり興味があります。
時間を作って少しずつ見聞きする予定です。
本ディスクは映画本編の出来も良いので、非常にお薦めだと思います。