days of cinema, music and food

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Inglourious Basterds


楽しみにしていた『イングロリアス・バスターズ』を観に行って来ました。
3連休3日目、勤労感謝の日の朝、シネコンのロビーはごった返していました。
ティーンはマクロス、少女たちはプリキュアがお目当てだった模様です。
しかしR15+のこちらは、9時半からの回は30人くらいの入りと少々寂しいもの。
アメリカではクエンティン・タランティーノ最大のヒット作になったのは、ブラッド・ピット主演の戦争アクションと見せかけて集客し、実は観てみるとブラック・コメディで大笑い出来ると口コミで広がったからでは、と勝手な想像です。
都心ではヒットしているらしいのですが。


実際に映画を観てみると、予想通りにタランティーノ印満載。
アクションは殆ど無く、弾丸の代わりに長台詞が飛び交い、多彩な登場人物、弛緩と突発的な暴力による緊張、映画音楽の流用など、この人以外に作れない世界となっています。
予想通りでなかったのは、長台詞の場面が多くとも、それらの多くが裏に意味がある単なる駄弁りになっていないこと。
そして登場人物の生き死に。
これは予想不可能に近いですからね。


パルプ・フィクション』を観たときに思ったのですが、タランティーノは登場人物を好いているのでしょうが、愛してはいないのでは、ということ。
魅力的な人物であっても、観客にショックを与える為ならば容赦無く殺します。
それが全くの犬死にであっても。
本作はそれが特に顕著です。
勿体ぶって画面に登場し、これから活躍を期待させるような場面も用意しておきながら、そこで退場させてしまう。
こういった扱いが散見されました。


そもそもタイトルになっているバスターズのメンバーは、田舎っぺ隊長ブラッド・ピットユダヤの熊イーライ・ロスナチス12人殺しのティル・シュヴァイガーを除き、皆没個性的。
ルックスは面白い者もいますが、結局どういう性格なのかも分からないまま、いつの間にかいなくなっている者が多い。
鑑賞後にパンフレットを見て、こんな奴いたっけ、と思ったメンバーが何人か居ました。
そういった不満はあるものの、それ以外は面白い役と役者を揃えたものです。


既にあちこちで言われていますが、悪役であるユダヤ・ハンター将校ランダ大佐役のクリストフ・ヴァルツは特に素晴らしい。
長弁舌の持ち主で、語学に堪能。
ネチネチと真綿で首を絞めるように相手を追い込む、嫌らしく冷酷非情。
それなのに妙に人好きがして、陽気でさえある。
この男の正体がバレる終幕の場面など大笑いものなのですが、実際に多言語に堪能でこの役を魅力的に演じたクリストフ・ヴァルツを起用したのは大正解でした。
当初報じられていた、レオナルド・ディカプリオでなくて本当に良かった。
一見すると、かつてタランティーノがよく起用していたティム・ロスに風貌がちょっと似ているのも面白い。
そう、神経質そうなどこか線の細い小男なのです。


映画に文字通り華を添えている2人の女優についても触れない訳にはいきません。
家族をランダ大佐に皆殺しにされ、復讐を誓う若きメラニー・ロラン
若き日のカトリーヌ・ドヌーヴを思わせる硬質な美貌と、強い意志を感じさせる無表情の中の表情。
逸材を発見したものです。
ドイツ映画界で活躍する人気女優にして英国諜報機関の二重スパイという役どころのダイアン・クルーガー
当初タランティーノナスターシャ・キンスキーを念頭に置いていたそうですが、結果としてクルーガーで良かったと思います。
往年の女優を思わせるクラシカルな美貌と物腰。
ナスキンだったならば彼女なりの魅力を湛えていたと思いますが、今となってはクルーガーがはまり役でした。


その他のキャストでは、ミヒャエル・ファスベンダーダニエル・ブリュールといった馴染みの無いキャストも光っていました。


いつも通りに長台詞場面が多いのですが、本作はその殆どの場面で底に緊張が流れ、研ぎ澄まされいました。
単なる駄弁りになっていないのです。
特に優れていたのは次の2つの場面。
冒頭、フランス人農夫の家で家長と会話を交わすランダ大佐の場面。
中盤の地下居酒屋でのドイツ将校たちのゲーム場面。
どちらも多言語飛がび交います。
冒頭ではフランス語での会話から始まるのですが、ランダ大佐が「自分はフランス語が堪能でないので、英語で会話したい」と言い出し、以降は英語での会話場面になります。
そう、ハリウッド大作戦争映画のように、ドイツ人でもフランス人でも英語を喋る、リアルでないご都合主義的なあのパターンのように。
「何だ、タランティーノも意外にハリウッドナイズされているのだなぁ…」などと軽く落胆していたら、会話の内容にじわじわと緊張感が忍び寄って来ます。
そして実は言語の切替自体に意味があったと分かったときの衝撃。
緊張が頂点に達したときに爆発する暴力。
スリラーとして一級です。


戦争映画と銘打ちながら、戦場での銃撃場面は実は劇中劇でしか描かれていないという、人を食った構成なのもタランティーノらしい。
繰り返しますが、この映画では弾丸は言葉であり、英語、フランス語、ドイツ語、イタリア語といったそれぞれの言語なのです。


ナチスドイツを襲撃する特殊部隊という設定でいながら、部隊の面々が皆如何にもひ弱そうな典型的ユダヤの若者ばかりなのも可笑しいし、映画がこちらの予想を覆してどんどん話が逸れて行くのも面白い。
ここら辺、傑作『パルプ・フィクション』のよう。
ただ今回は構成にやや難がありました。
ユダヤ女性の復讐劇とバスターズの襲撃が結局最後まで交わら無いし、劇中で一番素晴らしい場面でさえ、実は本筋にとって不必要とさえ思えてしまいます。
緻密で隙の無いがっちりした構成だった『パルプ・フィクション』に比べて、やや落ちるように思えるのは、そのせいでしょう。


タランティーノらしいと言えば暴力場面の数々もそう。
幾らナチス相手とは言え、アメリカ兵がバットで撲殺して頭皮をゾリゾリと軍用ナイフで剥ぎ取ったり、マシンガンで顔面崩壊する程弾丸を撃ち込んだりする映像は、多くの真面目な観客をドン引きさせるのに十分です。
しかしこれらの描写や、タランティーノの友人だというジュリー・ドレフュスが、ゲッベルスにバックでガンガン攻められるショットなどを見るに付け、観客にショックを与えてから笑わせようとする「悪意のあるいたずらっ子」、タランティーノのにやにや笑いがスクリーンから透けて見えます。
「面白いだろう、おかしいだろう」、と。
このおもちゃ箱はどぎつくビョーキなブラックジョーク満載なのです。
これを笑えるかどうかで、好悪の判断も変わってきそうです。


そのジョークの最たるものが終幕のとんでもない展開。
つまりはこの映画自体がある種おとぎ話であり、ジョークでもあるのです。
思い出してみましょう。
冒頭に「Unce upon a time in Nazi occupied in France...」と出て来ました。
最初から「これはおとぎ話なのですよ」というメッセージだったのです。


イングロリアス・バスターズ』は緻密な大傑作ではありません。
それでもおもちゃ箱的な映画としての面白さ・楽しさでは、タランティーノ映画でも1・2を争う出来映えです。
えぇ、かなり気に入りましたとも。


ジョン・ダイクストラが視覚効果デザイナーとしてクレジットされていました。
インヴィジブルVFXを指揮していたのでしょうね。