days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

The Lovely Bones


ピーター・ジャクソンの新作『ラブリーボーン』を観て来ました。
飛び石連休の谷間、金曜12時15分からの回、劇場は35人程度の入りです。


1970年代アメリカ。
優しい両親(マーク・ウォールバーグレイチェル・ワイズ)、兄弟と仲良く暮らしていた14歳の少女スージーシアーシャ・ローナン)は、突如命を奪われてしまう。
隣人たるミスター・ハーヴィ(スタンリー・トゥッチ)が殺人鬼だったのだ。
スージーは天国と地上の狭間の世界から、自分が居なくなった一家が崩壊していくのを目の当たりにする。
自分を殺した男は、捕まることなくのうのうと生きているのに。
しかしスージーには何もすることが出来なかった。
時の流れを眺めるしかなかったのだ。


という、アリス・シーボルトのベストセラー小説『ラブリー・ボーン』は未読なのですが、映画版はさて如何に。


ピーター・ジャクソンは大好きな監督・脚本家です。
処女作『バッド・テイスト』及び第2作目『ミート・ザ・フィーブルズ/怒りのヒポポタマス』、それに第4作目『乙女の祈り』は未見なのが痛いですが。
ハチャメチャ・スプラッター・ゾンビ・コメディ映画『ブレインデッド』はスゴかったし、誰も観ていないであろう『光と闇の伝説 コリン・マッケンジー』は楽しかった。
さまよう魂たち』はイマイチでしたが、それ以降の大成功はご存知の通り。
で、本作なのですが、正直に言って北米での批評家達からの不評も納得してしまう出来でした。
一言で言うとまとまりがないのです。
1シーンごとに違う映画を観ているかのよう。
突然、わが子を失うという恐ろしくも悲劇的場面があるかと思えば、少々やり過ぎの感のあるスーザン・サランドン演じる祖母(もっともサランドンは、撮影中からジャクソンの演技指示に不安を覚えていたようですが)の場面はコメディ調。
観たことも無いような壮大な幻想場面があれば、ひらひらした衣を着た少女たちがきらきらした死後の世界で笑いながら追いかけっこをする、観ていて気恥ずかしい場面があります。
本来ならばスージーの視点で描くことによって1本の筋が通り、これら種種雑多な場面を繋ぎ合わせる筈なのに、その為の脚本と演出が弱かった。
スージーシアーシャ・ローナンは素晴らしい演技を見せてくれるにも関わらず、です。


しかし多少不出来ではあっても、嫌いな映画にはなれませんでした。
それは、幾ら悲しい出来事があっても、時間が心を癒してくれる。
時が痛みを忘れさせ、忘れることによって前に進むことが出来る、というメッセージが明確だからです。


要所要所のジャクソンの演出力も素晴らしいものがありました。
巨大なボトルシップが次々と流れて来て、岩岸にぶつかって瓶が大破していく、壮大且つ幻想的な場面。
あるいは、スージーの妹がミスター・ハーヴィを犯人と疑い、殺人の証拠を求めてその家に侵入する、手に汗握る場面。
これらは劇場で観る価値がある場面です。
忘れてならないのが、少女の多感な時期と、身体はそのままでも心の成長を感じさせるようになった時期を、映画の流れに乗った如く演じたローナン。
『つぐない』の少女も良かったですが、本作の演技は見事です。
将来楽しみな逸材です。


殺人鬼を演じたスタンリー・トゥッチは、コンタクト・レンズやブロンドの鬘のせいもあって、素顔の彼とはまるで違いました。
先日観たジュリー&ジュリア』とは全く違うアプローチで、しかも素晴らしい演技。
トゥッチの演技も見所の1つと言っておきましょう。


音楽はジャクソン作品初登板のブライアン・イーノ
幻想的でアンヴィエントなサウンドは、映画にぴったりで効果的でした。


そうそう、時代が1970年代前半ということで、『指輪物語』がアメリカの学生たちの間で話題だった頃ですね。
当然ながらその目配せもあるし、ジャクソン自身も登場していました。