days of cinema, music and food

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Inception


マトリックス』ミーツ『スパイ大作戦』の映画があると聞いたら、わくわくしませんか?
あるいはフィリップ・K・ディック作品の余韻を持つ、SFアクション・スリラーだよ、と聞いたらどうでしょう。
個人的には今年最大の期待作だったクリストファー・ノーランの新作『インセプション』は、そんな映画だったのです。
夢の世界を舞台にした犯罪スリラーとしか知らなかった私は、嬉しい不意打ちを食らいました。


先行上映2日目、新百合ヶ丘ワーナー・マイカル・シネマ、6番劇場での朝8時55分からの回、170席の劇場は4割くらいの入りでした。


実は、事前には『メメント』のような観客向けの説明が無い、どこか突き放したようなスリラーを期待していました。
いざ観てみるとその期待は裏切られました。
構成は複雑でも難解でない、単純に楽しめる娯楽映画だったからです。
それでもハリウッド大作映画でありながら、作家性を失っていません。
複雑で大規模な内容を軽々と描いてしまうストーリーテリングに、ノーランの手腕を感じました。


他人の夢(=深層心理)に入り込んで極秘情報を盗み出す企業スパイを、レオナルド・ディカプリオが演じています。
ここ数年、眉間に皺を寄せた深刻演技ばかり見せられていますが、本作も同様。
もう少し違うパターンの演技も観たい。
ライヴァル企業を叩き潰すべく、その御曹司の深層心理に自らの企業を壊滅に追い込むべく思考を植え付けて欲しい、と依頼するのが渡辺謙
とても見栄えもします。
しかし本作最大の驚きは、レオの冷静な相棒を演じているジョセフ・ゴードン=レヴィット
彼が非常に格好良い。
外見はいわゆる甘いマスクではないのですが、端正な面持ちと冷静な行動、そして後半での孤軍奮闘振りと、プロに徹した姿勢がその格好良さの源ではないでしょうか。
自らの深層心理にあるトラウマに触れて、やや感情に走ってしまうレオよりもプロっぽく見えました。
もっとも、最後まで徹頭徹尾冷徹なプロを主人公にした映画ならば、単純なSF犯罪映画になっていたのは確か。
主人公の心理や過去が徐々に露わになり、最後はラブストーリーでもあったと気付かされるのが、本作の主眼でもあるのでしょうから。


ターゲットとなる御曹司を演じるのがキリアン・マーフィでした。
ノーラン映画では『バットマン ビギンズ』と『ダークナイト』でスケアクロウを演じていましたが、こちらでは観客もついつい感情移入しがちな繊細な演技を見せてくれます。
元々上手い人なので、良い起用だと思いました。
その厳格な父親役がピート・ポスルスウェイト
好きな役者ですが出番が少なくてちょっと残念。
最近では『タイタンの戦い』での序盤、ペルセウスの義父役で出ていましたね。
レオの妻役がご贔屓のマリオン・コティヤール
美貌だけではなく、演技も上手い。
パブリック・エネミーズ』よりもこちらの方がずっと良かったのは、やはりあちらのマイケル・マンは女を描けないからか。
その父役、つまりレオの義父役がマイケル・ケイン
おやおや、ノーランのバットマン組ですね。
渡辺謙もそうか。
つまりはノーラン作品の常連も多い映画なのです。


スタッフも同様です。
陰影のある魅力的な画を切り取った撮影監督のウォーリー・フィスター
迫力ある低域のダイナミズムを聴かせた作曲家のハンス・ジマー
さらには魅力的なプロダクション・デザインに視覚効果と、映画全体は非常にリッチかつゴージャス。
相当な規模の大作映画だと言えます。


そんな大作プロダクション映画なのに、興味深いのは小規模プロダクションで映画化しても違和感の無い内容だ、ということ。
夢の中の夢の中の夢の中の夢の中…などと言いたくなるような、重層的な世界を舞台にしての犯罪立案・実行を描いた、一種の泥棒映画は、物語自体が非常に面白く、かつわくわくさせられる娯楽映画となっているので、大規模なアクションが無くても十分に楽しめた映画になったのではないでしょうか。
いや実際、アクションの必然性が薄いです。
アクションが物語を前進させる場面は意外に少なく、むしろ蛇足に感じることがありました。
そして『バットマン ビギンズ』で感じましたが、クリストファー・ノーランはそもそもアクション演出が上手くありません。
大体にしてあの『ダークナイト』が傑作なのは、中盤のカーチェイスなど無くても構わない、緊張感が持続する善と悪の闘いと、ヒーローとは何か、悪とは何か、といった命題にあったのですから。
ということで、後半のスキー・チェイスなどは、ノーランが大好きだという『女王陛下の007』へのオマージュなのでしょうが、正直に言って特に冴えを感じませんでした。
同作の記憶が薄い私としては、最近Blu-ray Discで超久々に再会した『007/ユア・アイズ・オンリー』と比較してしまい、あちらの方がアクションはずっとサマになっていたのに、などと歯がゆく感じてしまったくらいです。


ではアクションが楽しめないかというとさにあらず。
後半ではこんなアイディアがあったのか、という無重力空間でのアクションが用意されており、ノーランの想像力の豊かさに驚かされます。
視覚効果も精度が高いですが、これは特撮スタッフにとっても刺激的な映画だったのではないでしょうか。
特撮とは技術的な面だけではなく、描く内容自体に左右されるのですから。
そんな訳で、私はノーランの想像力に圧倒されてしまったのでした。


映画が俄然面白くなってくるのは、主人公が夢の設計士として雇うべく、学生エレン・ペイジと会ってからになります。
それこそチームは『スパイ大作戦』のように、各人にそれぞれ特技あるのが楽しい。
あちらのマーティン・ランドーのような変装の達人もいて、トム・クルーズ版の『ミッション:インポッシブル』シリーズが「ひとり大作戦」と化してしまったのに対し、ずっと『スパイ大作戦』の楽しさの本質を描いています。
もっとも、あちらが絶対悪に仕掛けるのに対し、こちらは悪人でもない人をターゲットにして、その人の人生に大きな影響を与えようとするのだから、主人公たちはどう見ても悪党なのですが。


映画は計画の立案・準備を描いてから、後半に実行をたっぷりと時間を費やして描きます。
この後半はアクションとスリルのつるべ打ち。
夢の階層を降りていくごとに時間の観念も変わってくるだけではなく、各階層での危機が他の階層に及ぼす影響も描かれていて、予想の付かない展開もあり、複数箇所での同時進行が手に汗握る犯罪スリラー、しかもちゃんとSFになっています。
男たちが皆、びしりと決めたスーツ姿なのも、スタイリッシュな感じを受けてカッコ良い。
前作『ダークナイト』でマイケル・マンの『ヒート』からの影響を語っていたノーランは、ひょっとすると全員スーツの武装強盗団を自分でも描きたかったのかも知れませんね。


次第に夢(=妄想)と現実の境が付かなくなってくる、というテーマは、『メメント』でも取り上げていました。
だからこそ本作のあのラストが効いているのです。
あそこは観た人同士で話が盛り上がるかも知れませんね。


間違いなく傑作だと思いますが、前述のように手放しで褒められません。
不要と思えるアクションもそうですが、脇の登場人物の描写に深みが欲しかった。
そうすれば頭だけではなく、もっと心に響く映画になったと思います。
だらだら人間ドラマを描くというのではなく、もう少し人物の背景が観たかったのです。
例えば大活躍するエレン・ペイジは、観客の視点でもある人物として描かれています。
彼女がどういう人なのか、もう少し知りたかった。


と、『インセプション』は欠点がありながらも、「凄い」と思える娯楽SFアクション・スリラーなのです。
ホームシアターの枠内では収まりきらない壮観な映像が観られる映画でもありますので、是非、多くの人に劇場の大画面で体感してもらいたいです。


それにしてもルーカス・ハース
刑事ジョン・ブック/目撃者』のあの少年がすっかり大きくなって。
言われなければ分かりませんでした。