クラブメッド 石垣島カビラビーチ(その1)
4時半に迎えに来たタクシーに乗って、早朝6時20分の羽田発那覇行きの便に乗りました。
割と最近になって今回の旅行が決まったので、石垣島への直行便が取れなかったのです。
タクシー内では妻子も私も爆睡でした。
飛行機は搭乗客10人が遅れたとかで、少々遅れ気味。
私の左隣の空席が、恐らく該当客の1人が買った席なのでしょう。
…ったくと思っていたら、手荷物と荷物入れに押し込んでいる同僚が。
おやま、世間は狭い。
「すみません」と言いながら席に座ろうとしたUさん、私の顔を見て相当にビビっていました。
これから宮古島でのスクーバ・ダイビングなのだとか。
へぇ、そんな趣味があったんだ。
知りませんでした。
少々談笑後、共に寝てしまいます。
機内では娘はぱっちり覚醒で私は爆睡(…すまぬ、妻…)。
Uさんとは那覇でお別れし、我々は乗り継ぎで石垣島に発ちました。
到着した石垣島は、とにかく日差しが強烈!
普段からサングラスをしている私ですが、いやはや、本当にサングラス無しは全く考えられないくらいの眩しさ。
抜けるような青い空も青の発色が違うんじゃないかというくらいに真っ青です。
空港からは迎えのタクシーに乗って、今回宿泊するクラブメッドに向かいました。
タクシーの運転手は観光案内もしているらしく、妻は有意義な情報を多々入手したとか。
しかし旅行での乗り物移動中は基本的に寝てしまう私は、またしても寝…(-_-;
娘と一緒にまたもや寝ていたのでした。
メッドに到着すると、正面玄関ではシーサーが出迎えてくれます。
玄関内のロビイにてチェックイン手続きをしながらお茶を頂きます。
ロビイを抜けると、プールと海が広がります。
こりゃぁ風光明媚な。
正面部屋に向かう途中、ホールでは何やら練習をしている人々が。
何の練習かは夜になって分かるのでした。
案内された部屋は小ぶりでランクも1番下でしたが、場所は最高でした。
眺めも良かったのですが、プール、浜辺、食事する場所全てに近かったのです。
逆にランクが上だと離れて静かな場所なのでしょうか。
ともあれ、ここでもうるさいとか思った事はありませんでした。
3人で寝泊りする部屋でしたが、ベッドはツイン。
写真左側にあるソファも実はベッドでしたので、家具の配置を変えて3つ並べました。
娘は寝ている間に2回、タイル床に転がり落ちましたが、怪我も無く、きょとんとしていました。
さて、昼時です。
食堂に向かいましょう。
食事は全てビュッフェ形式で、好きなものを各自で取ります。
料理内容は多彩で、野菜や果物が多いのは外国人客向けなのか、あるいは経営がフランス企業だからか。
ともあれ内容はかなり良く、ホテルのビュッフェ形式での食事としては、グアムのハイアット・リージェンシー内のレストラン、ラ・ミレンダでのサンデー・ブランチ以来の満足度でした。
野菜も料理も美味しい!
当初の予想通り、ついつい取り過ぎてしまいますね。
本来ならば娘は昼寝タイムの筈なのに、全く寝る気配無し。
どうやらちょっとした興奮状態のようです。
では満腹の腹を抱えてプールに行きますか。
プールはそんなに大きくは無く、写真左手前の子供も立てるプールと、その2倍の大きさの深さ1.1mのものが柵で区切られています。
プール教室も行われており、その場合はそのゾーンには生徒以外は入れません。
娘を背中に乗せてのお馬さんごっこなぞして、さ、今度は浜辺に行きましょう。
こちらの眺めはやはり最高。
真っ青な青い空と海、白い砂浜。
その砂浜も、殆どが貝殻と珊瑚のかけらが細かく砂粒状になったもの。
いわゆる本当の砂は殆どありませんでした。
足を入れられる形式の浮き輪の中で、娘もきゃーきゃー大喜び。
プールと併せて2時間半は水遊びをしたので、昼寝もしていない娘もさっさと寝るだろう…ふっふっふ…と親としては安心したのでした。
17時になると監視員が居なくなりますが、客個人の責任で残って遊んでも良いようです。
ですがもうよかろうと、我々は上がりました。
部屋に戻ってシャワーを浴び、着替えをしてこざっぱり、しかしまだ娘は寝る気配がありません。
小腹も空いたけれども、夕食は18時半開場。
それまで時間があるのでバーに行きます。
ちょいとつまみを小皿に取ってバーのテラス席に着き、妻は生ビアーを、娘は牛乳を、私はジュースを頂きました。
風が心地良い。
これらも全て無料。
パッケージに入っています。
お待たせしました、ディナーですよ。
場所は同じレストラン、同じくビュッフェ形式。
しかし昼よりも格段にグレードは上がっていました。
沖縄料理もふんだんにあったので取り、メキシカンとトルコ料理との和洋折衷となったのでした。
ランチはたまたまの相席だったのかも知れませんが、この夜はホテル側の意図での相席となりました。
大阪からいらしたという3人のフランクなご家族には6歳の娘さんも居て、人見知りな我が家の娘もすぐに打ち解けたようです。
普段から服を脱いで笑いを取りがちな娘も、やはり…な露出癖を披露。
向こうのお父さんのTシャツまでめくって太鼓腹を露出させるという始末。
ノリの良いお父さんで幸いでした。
あちらのお母さんは「全く恥ずかしいものをお見せして…」と苦笑いでしたが。
相席も楽しいものでしたが、さらにクラブメッドで独特なのは、スタッフ(gentil organisateur”ジェントル・オーガナイザー”=G.O.)も相席するのです。
これがかなり独特で、我が家は全く平気でしたが、嫌な人は嫌かも知れません。
この夜に相席したのはバリ出身のAliさん。
日本語も話せる方です。
イケメンで陽気、娘もすぐに慣れてしまいました。
いや、むしろ好きになったようです(*^-^*)
翌朝から「ありさんは?」としきりに尋ねるようになったのでした。
転勤は1年に1回くらい、範囲はアジア圏内との事。
それはさぞかし大変でしょうに。
「仕事があるので」と退席されたので、Aliさんとは1時間程の同席でしたが、とても楽しいものでした。
もっと色々と伺いたかったのですが、それはまた別のG.O.から伺う機会もありましょう。
もちろん、大阪からのご家族もとても楽しい方々だったから、というのもありますが、話も面白かったです。
たらふく食事を取って(妻はビアーをしこたま飲んでいました)、21時前からのサーカスを見ようという事になりました。
そう、チェックイン後に見た練習風景はサーカスだったのです。
しかもメンバーはG.O.も含みます。
凄いなぁ。
しかし娘は花火(の音)嫌いから転じて、ショウや映画も嫌いになってしまい、なだめてもすかしても「おうちにかえりたい」と言い出す始末。
プチホームシックにまでなってしまったようです。
アルコールも回った妻が娘を部屋に連れ戻る事になり、仕方なく残された私1人でサーカスを観る事になりました。
空中ブランコ、バランス芸、跳び箱など、アスレティックスな芸目が殆どだったのは、後日分かるのですがスポーツ関連の業務に携わっている方々が殆どだから、のようです。
国籍は日本だけではなく、韓国、アメリカ等数カ国の編成。
G.O.も客もインターナショナルなクラブメッドらしいと思いました。
クラブメッドの特徴の1つとして、3歳児までが入れるプチクラブ(有料)、4歳児からが入れるミニクラブ(旅費に混み)というのがあります。
これは子供達の体験教室のようなもので、皆で水泳を習ったりなどのキッズプログラムがあるのです。
その間に大人達だけでのんびりしたり、ウィンドサーフィン教室に入ったり、といった事が楽しめます。
今回は「普段、一緒にいる時間が少ないのだから」という妻の意向と、かなりの人見知りな娘には難しいかも…と、プチクラブ入りは見送りました。
ミニクラブにはサーカスもあり、子供が空中ブランコやトランポリンを練習している姿がありました。
教えている方々にサーカスのメンバーも幾人か居たのです。
皆さん、とにかくよく身体が動く。
感心しました。
そしてこのサーヴィス精神。
日中は担当の仕事、食事時は客と一緒にコミュニケートし、深夜まで働く。
このバイタリティは凄いですね。
給料は余り高くなく、拘束時間も非常に長くて睡眠時間も少ないので、契約期間が終了すると特に先進国出身者には辞める人も多いようですが、いつも笑顔でゲストに接するプロフェッショナリズムに感銘を受けました。
最後はこちらの支配人ドミニクさんの挨拶(日本語は殆ど喋れないようです)と、Ayaさんの通訳によって終了。
サーカスが終わったのは22時前。
「就寝中に内線が掛かって来て起こされたのに取る前に切れた」という妻が、私に何かあったのではと心配して来てくれましたが、これも後でクラブ内で使う大事なカードを落としていたと判明します。
ともあれ、初日は内容盛りだくさん。
サーカス後はバーでG.O.のメンバーを中心にカラオケ大会。
いやはや、仕事とは言え物凄いバイタリティです。
一方の私は部屋に戻ってシャワーを浴び、ベッドに倒れ込むようにして寝てしまったのでした。