days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

J. Edgar


アカデミー賞候補入りするのではと言われていたクリント・イーストウッドの最新作『J・エドガー』を観て来ました。
公開初日の土曜15時からの回、116席の劇場は7割の入り。
これもイーストウッド効果とレオナルド・ディカプリオ効果なのでしょう。
客の半分は女性でした。


人生も黄昏を迎えていたFBI長官エドガー・フーバーレオナルド・ディカプリオ)は、部下に自らの伝記を口述筆記させる事にします。
厳格司法省に勤務していた若きフーバーは、新設された急進派対策課の責任者に抜擢されます。
プロポーズするも断られた秘書のヘレン・ギャンディ(ナオミ・ワッツ)を個人秘書として雇い、やがてFBIの前身である司法省捜査局の長官代行となったフーバーは、科学捜査を導入して捜査の近代化を図ると同時に、自らの権限集中も着々と進めて行きます。
そんな中、公私共にパートナーとなるクライド・トルソン(アーミー・ハマー)と出会いますが。


フーバーというと、近代アメリカ史のすっかり悪役というイメージになってしまっています。
それにイーストウッドがどう向かったのか。
私自身はそこが最大の興味でした。
映画が始まった序盤こそ、アメリカ史を描くように見えなくもないのですが、個人の物語に収れんされていくのが、いかにもイーストウッドらしい。
イーストウッドの視線は常に個人に向いています。
断罪するのでもなく、称賛するのでもなく。
付かず離れずという言葉がありますが、対象となる人物と適切な距離と保ちながら、裁く事をせずに見つめます。
この傾向は近年になって益々強くなり、ゆえに作風が淡々と枯れた味わいになって行くのでしょう。


しかし驚きが無ければ映画として面白くはありません。
本作は脚本に秀作ミルク』(これが日本ではBlu-ray Discが出ないとは、何たる文化的損失だ、と嘆きたくなるくらいに良い作品でした)のダスティン・ランス・ブラック
自身ゲイを表明しているブラックが、本作もゲイとしてのフーバーを描いており、その描き方がまた興味深かったです。


フーバーはゲイなのですが、それを自分では認める事が出来ませんでした。
しかしその美しさに一目惚れしたクライドとは公私共にパートナーになり、肉体関係こそ無かったものの、数十年にも渡って愛を育んで行きます。
一方、フーバーの求愛を断った秘書ヘレン。
彼女も恐らくはゲイであると描かれ、フーバーとは強い繋がりを持つとされています。
このフーバー、トルソン、ヘレンのトライアングルが非常に面白い。
彼らはアメリカの裏面史という秘密の共有もあって、強固な絆を作り上げて行くのです。
また、ジュディ・デンチ演ずる母親の描き方も興味深い。
愛情たっぷりなものの厳格な彼女は、同性愛を認めていません。
彼女が死ぬまで同居していたというフーバーは、母の影響を強く受けて抑圧的な性格となっていきます。
世を混乱に陥れる者、犯罪を犯す者にはあらゆる手段を用いて鉄槌を下し、またそれを成すのは己だけだとばかりに突き進むのです。
その為には確固として地位を守らねばならず、歴代大統領やその家族の情事を盗聴し、その機密書類を盾に保身する。
決して愉快な人物ではありませんが、非常に面白い映画となっていました。


ディカプリオは出ずっぱりで、全編の殆どを特殊メイクに覆われながらの演技で大熱演。
しかし眉間に皺寄せる彼の演技が苦手な私でも、嫌味無く観られました。
老人演技も『アビエイター』等に比べて自然になったと思います。
一方、『ソーシャル・ネットワーク』の美形ウィンクルボス兄弟役が記憶に新しいアーミー・ハマーは、老け演技も含めて大好演。
これは意外な収穫で、私はすっかり嬉しくなってしまいました。
むしろ老け演技ではディカプリオよりも上手いくらいです。
良い役者が出て来たものです。
ナオミ・ワッツは老け演技も含めて全体に抑えていますが、こちらも素晴らしい。
この3人の演技が間違いなく作品の屋台骨となっています。
ジュディ・デンチも強烈だったと言い添えておきましょう。


イーストウッドのタッチは急がず慌てず、複雑に入り組んだ時制も堂々たる語り口で進め、物語を語る、人物を語るのに徹します。
FBI史でも重要なチャールズ・リンドバーグ事件の捜査にも時間を割き、ミステリ的な興味でも引っ張りながら、プラトニックなラヴ・ストーリーにまとめ上げてしまう手腕には唸らされました。
全体に色味が抜けたような渋い映像で通し、時代によって色で描き分ける手段を放棄しつつ、美術や衣装で分からせる方針も面白い。


アメリカでは余り好評でなかったというのが信じられないくらい、これはイーストウッドの優れた個人史映画なのです。