days of cinema, music and food

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Extremely Loud & Incredibly Close


今年のアカデミー賞作品賞候補となった映画『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』をミッドナイトショウで鑑賞しました。
客は私含めて4人、しかも全員男性でした(^^;


9.11.で父(トム・ハンクス)を失った9歳の少年オスカー(トーマス・ホーン)は、その遺品から謎の鍵を見つける。
これは何の鍵なのか?
きっと父の謎かけに違いない。
入っていた封筒にあった「Black」という文字は人名だと当たりをつけ、母(サンドラ・ブロック)に内緒で電話帳でマンハッタン近郊のブラックを次々と尋ね歩く。
やがて少年の冒険には、祖母宅に越して来た一言も口を利かない謎の老人(マックス・フォン・シドー)も同行するようになる。


まず困ったのはこの邦題。
原作も同じ名前なのですが、『ものすごくうるさくて、ありえないほど近い』という題が中々憶えられません。
先程は間違えて「ありえないほどうるさくて」と検索したら、同様に題名を書いている人が世間に大勢いるのを知って、心強く思った次第 (^^;
でも理解していないのは題名だけではない人が多いようです。
オスカーが高度な知性を持っているのは明らかな一方、劇中でアスペルガー障害の疑いがあると言及されているし、彼の他人への共感の少なさや、極端な拘りなどの描写もあるにも関わらず、単なる自己中心的人物としている、とまるで理解していないで映画を観ている人も散見されました。
映画の本質を見誤りかねないのに。


まぁともかく、この映画、技術的には凄く高度でした。
意匠を凝らした映像や音響等は見事。
中心にフォーカスが当たった映像、町をミニチュアのように撮った空撮、轟音鳴り響く音響。
主人公の切迫した心理状態を描けるのはさすが映画の力です。
スティーヴン・ダルドリーは意匠を凝らした演出で、観客にオスカーの主観を疑似体験させようとします。
野心的な試みは評価したいです。
役者も良かった。
特に途中から冒険に同行する、口がきけない謎の老人マックス・フォン・シドーの軽妙さ。
顔と身体の豊かな表情で感情を伝える。
素晴らしい演技でした。
少年から見た理想の父親像を体現したハンクスはこういう役に似つかわしいし、息子とコミュニケーションが上手く取れずに悩むブロックも力が入った演技を見せてくれました。
最初に出会うブラックさんを演じたヴィオラ・デイヴィスも、現代の悩めるキャリア・ウーマン役で、それまでに観た事のある、例えば『ダウト〜あるカトリック学校で〜』等と全く違って見えました。
さすが役者です。
オスカー役トーマス・ホーンはこれが初演技だそうですが、映画の軸となる役を熱演していました。
これは将来楽しみな逸材です。


だがしかし、です。
残念ながら私は終幕に納得が行きませんでした。
皆、何かを失っているし、何かに傷付いている…といった単純化で良いのか?と。
また、あれだけの冒険をしたから主人公はこう変わりました、こう成長しました、となるのですが、彼の持つ閉鎖的な資質は、「その程度」で簡単に変わるものなのだろうか、とも思いました。
ここら辺の人物像が昨夜観た『ヤング≒アダルト』に比べて嘘臭く感じてしまい、素直に感動出来なかったのです。
普通の娯楽感動ドラマの範疇なのに、これは映画を観た順番に左右されてしまったようです。
でもこうも考えられます。
9.11.は個人の心の傷として描くには、まだ映画制作者にとっても荷が重いのかも知れない、と。
スティーヴン・ダルドリーは佳作『リトル・ダンサー』を撮ったイギリス人。
だから題材との距離はあるのでしょうけれども、下手に普遍化したエリック・ロスの脚本を御せなかったのでしょうか。


映画で1番気に入ったのは、アレクサンドル・デプラの音楽。
叙情的なメロディとリズムが、感傷に陥った映画本編よりも美しかった。
「いや、そっちじゃないだろ、この映画の内容は」と映画に語りかけているかのように思えました。
ジョナサン・サフラン・フォアの原作はかなり違うそうなので、こちらも興味が湧きますね。


ものすごくうるさくて、ありえないほど近い

ものすごくうるさくて、ありえないほど近い