days of cinema, music and food

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春のライアン・ゴズリング祭り2本立て


出演作が2本同時に公開初日となるので、勝手に春のライアン・ゴズリング祭りと命名しましょう。
ゴズリングは、今ハリウッドで大注目の演技も出来る若手男優で、昨年から出演作が数本公開され、注目度も急上昇、またセックス・シンボルとも言われています。
素顔は気さくで映画好きな田舎出のお兄さん、だそうですが…。
私は昨年観た佳作コメディ『ラブ・アゲイン』でのナンパ男が印象に残っています。
楽しい役者が色々出演していて、楽しい映画でした。
ともあれこの土曜日は、昼は『スーパー・チューズデー〜正義を売った日』に、夜は『ドライヴ』に駆けつけました。
どちらも面白い映画でした。
パンフレットを買ったら、どちらも映画評論家・町山智浩の解説文があります。
ゴズリング祭りは町山祭りでもあったようです。
気付いたのは、『ドライヴ』に出演していたキャリー・マリガンは、先週観た佳作SHAME -シェイム-』にも出ていたので、2週連続出演作を観た事になります。
ゴズリング祭りは町山祭り、しかもマリガン祭りでもあったのでしタ。


まぁそんな事は置いて、まず1本目。
スーパー・チューズデー 〜正義を売った日〜』(原題『The Ides of March』)公開初日の土曜13時15分からの回。
製作、監督、出演がジョージ・クルーニー、主演がライアン・ゴズリングとあってか、116席の劇場は半分くらいの入り、男女比も半分半分でした。
硬派な政治パワーゲームを扱った内容からすると、入りは健闘しているのではないでしょうか。


実質的に民主党大統領候補を決めるスーパー・チューズデーの前、候補者モリス知事(ジョージ・クルーニー)の選挙参謀の1人スティーヴン(ライアン・ゴズリング)は、対立候補選挙参謀ダフィ(ポール・ジアマッティ)に呼び出され、ルール違反を承知で会ってしまいます。
密談の内容はスティーヴンの引き抜きでした。
秘密の筈のそのネタが、ニューヨーク・タイムズ記者ホロウィッツ(マリサ・トメイ)に流れてしまい、スティーヴンは窮地に陥ります。


こちらのゴズリングはしゃべるゴズリング。
喋り、出し抜かれ、出し抜き、裏切る。
頭脳と言葉と度胸で勝負する男。
手は汚さないが心が汚れていく役どころ。
いや、心を失っていく役とも言えますか。
でもそれを単なる政治への失望と捕らえるのはどうか、とも思えます。
これは理想に満ちた若者が、現実的になって成長する物語なのです。
ジョージ・クルーニーはあの役を自分に当てた時点で配役にて勝利ですね。
ルックスもハンサムなクリーンな政治家という役どころです。
これが結構効いて来ます。


ルーニー兄貴の70年代調演出は好調で、硬派な題材を上手く娯楽映画として仕立てています。
力作だが堅苦しく感じた『グッドナイト&グッドラック』より面白かったし、同時にメッセージも伝わって来たと思いました。
まぁしかし選挙参謀フィリップ・シーモア・ホフマンを筆頭に、配役が素晴らし過ぎます。
ホフマン、ジアマッティという一癖も二癖もある連中が跋扈する魑魅魍魎の世界を覗けるという点でも、面白い映画でした。
ゴズリングと関係を持つようになるインターン役が、贔屓のエヴァン・レイチェル・ウッドというも良かった。
もっとも彼女の役どころは可愛そうでしたが…。
個人的に特に70年代調だと思ったのは、実は女性陣の扱い方なのですね。
現代の映画ならば、女性は皆切り捨てられる役ばかりでなく、もっとしたたかに立ち振る舞うのではとも思いました。
いえ、劇中の彼女たちが愚かという意味ではありません。
ですがこの映画で沈む役どころの多くが女性というのに、少々違和感を感じたのでした。
もっとも政治は男の世界で、女性は酷い目に遭う場合が多い、という視点ならばアリなのかも知れませんが。
終幕はもう少しスリリングで凝った展開が欲しかった気もしますが、相対的に満足度の高い映画でした。
音楽も良く、作曲家は誰だろと思ったら、アレクサンドル・デプラでした。
先日観たおとなのけんか』や、さらにその前に観たものすごくうるさくて、ありえないほど近い』などと全く違う、でもスリリングな劇伴としての機能が見事。
打楽器が目立つああいう曲も書けるんだと、この作曲家の引き出しの多さに改めて感銘を受けたのでした。
エンドクレジットは打楽器主体から徐々に盛り上げる曲で、デスプラ版『ボレロ』だったのでしょうね。


原題の「The Ides of March」は初めて聞いた時に全く意味が分かりませんでしたが、古代ローマ暦の3月15日の事だそうです。
ジュリアス・シーザーがブルータスに暗殺された日でもあります。
成程と、映画を観ながら納得したのでした。


春のライアン・ゴズリング祭り2本目は、話題の『ドライヴ』(原題『Drive』)。
妻子寝静まってからの公開初日のレイトショウ、21時35分からの回、113席の劇場はほぼ満席でした。
男女比は7:3くらいでしょうか。


昼は自動車整備工、時々ハリウッド映画のカースタントドライヴァーの青年(ライアン・ゴズリング)は、夜になると強盗逃走請負運転手をしています。
彼はアパートにて幼い子を持つアイリーン(キャリー・マリガン)と知り合い、親しくなりますが、やがて彼女の夫スタンダード(オスカー・アイザック)が出所して来ます。
ある日、チンピラ2人組に袋叩きにされたスタンダードを発見した青年は、彼が刑務所でギャングから多額の借金を負い、強盗を強要されている事を知ります。
青年は人助けのつもりで運転手を買って出ますが、そこにはギャングたちの罠が待ち受けていたのでした。


昨年秋の全米公開前の予告編から期待していたので、日本公開も楽しみにしていました。
それが裏切られたら…と思っていたのですが、全くの杞憂でした。
これは確かに傑作です。
映像、音楽、演技、どれも素晴らしい。
非常に人工的で独特の世界を持った映画で、静謐さと突発的暴力の差でさえも滑らか。
これは暴力の衝動に突き動かされる内気な主人公を快演していたゴズリングの演技にもよります。
ハリウッド1美しい頭骨の持ち主ゴズリングは、極端に口数の少ない名無しの主人公を表情と身体の動きだけで表現していて、いや見事ですよ。
内気で優しい青年は物語が進むに連れて、暴力への衝動にかられています。
次々ギャングどもをやっつけていきますが、それらの行為は明らかに自己の解放です。
静から動への変容。
しなやかという形容もありますが、文字通りドライヴァーはギアをチェンジします。
彼の行為には正義があるものの、明らかに逸脱して暴走して行くのです。


映画はそのゴズリングと、やはり美しい後頭部の持ち主マリガンとの純愛映画としても鑑賞が可能です。
後半に用意されているエレベーターでのロマンティックなラヴシーンは、映画史に残る美しさだと思います。
同一ショットの中で微妙に変化する照明も素晴らしい。
このエレベーターの場面、後半は度肝を抜かれる展開になるのですが、それはお楽しみに。
それもあって、このくだりは映画史に残る衝撃だと思います。
彼ら美男美女に対するギャングの顔役アルバート・ブルックスロン・パールマンらカラフルな面構えの悪党どもも楽しい。
青年の雇い主ブライアン・クランストン、夫役オスカー・アイザック、TVドラマ『マッドメン』で一躍スターになったクリスティナ・ヘンドリックス
それぞれ出番の多い少ないに関わらず、印象に残ります。


映画は序盤に逃走場面を用意しています。
このカーチェイスの描き方が緊張感があって渋い。
同じく名無しのドライヴァーが主人公で、やはり犯罪の逃走請負をするウォルター・ヒルの佳作『ザ・ドライバー』では、プロの筈なのに何であんなに派手で目立つ運転をするんだ、という故都築道夫の指摘もありましたが、それへの回答だと思います。
開巻早々に映画ファンとしてはニヤリとさせられますね。


それと既にあちこちで指摘されていますが、プロットは西部劇の名作『シェーン』そのまんまです。
正体不明の流れ者が子持ち妻に恋をしつつ、悪党を成敗して去っていく…。
しかし映画の雰囲気は全くもって西部劇ではありません。
寓話、もしくは神話と言っても良いでしょう。
そう思ったのは、デンマークの監督ニコラス・ウィンディング・レフンによる終幕の演出によります。
冒頭から緊張が持続する映画でしたが、鑑賞直後は終幕10分で少々息切れ気味に感じられ、残念に思えたのです。
その後のラストシーンで持ち直して締めましたが。
しかし、少し経ってから気付きました。
主人公は神の領域に達したのではないか、と。
終幕の2つの殺人は直接描写が無い、カタルシスを与えない手法が取られています。
名も知れぬ青年の最後の殺人は、最終的に人間ではなく神の御業になった…という意味だったのではないか、と思いました。
その理由は明らかに大ダメージをくらっているにも関わらず手を下す、という描写によります。
そう考えると、クリント・イーストウッドの幾つかの西部劇にも似ていますね。


音楽はスティーヴン・ソダーバーグ作品を数多く手掛けているクリフ・マルティネス
あんな曲を書くとは知らななかったですね。
その楽曲や選曲も現代風でなく80年代風で、これもどこか現実感の無い雰囲気に大きな影響を与えています。


見終えた後も尾を引く。カタルシスがあると言えばあるし、無いと言えば無い。
何とも不思議な感覚の映画です。
影響を与えた映画の題は何本も思いつくのは簡単です。
前述の『ザ・ドライバー』や、中盤のカーチェイスピーター・イェーツの『ブリット』でしょう(実際、レフン監督は後者を参考にしたそうです)。
夜の闇を切り取ったスタイリッシュな映像の数々は、マイケル・マンの映画を思い出さないのは難しい。
それでも『ドライヴ』はユニークな存在です。
観た事があっても観た事が無い犯罪映画になっていたと思います。


尚、ブライアン・シンガー組のニュートン・トーマス・サイジェルによる撮影はHDなので、デジタル上映との相性が良いでしょう。
私の場合もばっちりでした。


かようにライアン・ゴズリング祭りは、華麗に傑作を見せてくれた祭りだったのでした。