days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

The Dark Knight Rises


クリストファー・ノーランダークナイト・トリロジー完結編『ダークナイト ライジング』を南町田のIMAX劇場での先行上映で観て来ました。
先行上映と言っても、明日からは同じ劇場で通常上映する訳ですけれどもね。
いつもガラガラなこの大劇場(昔だったら中規模劇場)ですが、平日金曜夕方6時半という回にも関わらず、何と7割以上の入りです。
アメリカ人観客も多いのは、やはり本国の盛り上がりと、バットマンアメリカ人にとっての特別なヒーローだ、という事なのでしょうね。
このような大作映画は大勢の観客と一緒に観た方が楽しいですし、洋画離れが叫ばれている昨今ですから、日本でもヒットしてもらいたいものです。



この映画について語る場合、何に触れて良いのか、いちいちヒヤヒヤしてしまいます。
というのも、何を言ってもネタバレになりかねない物語だからです。
でも正直ベースで書きましょう。
事前の評価は最大限の賛辞が送られ、観る前の私の期待も最高潮。
しかし実際に観てみると…乗れませんでした。
予想を裏切る展開続出だし、面白いのに。


はっきり言って前作、前々作を観ていないと、何が何やら分からない可能性は高いです。
しかも本作ではっきりしましたが、3部作全体で1つの物語となっています。
第2部を挟んで、第1分と第3分で反復構造でありながら、対照的なテーマとなっていました。
よっていちげんさんお断りの映画だと思います。
ここら辺のこだわりが脚本も書いたノーランらしいのですが、アメコミヒーロー映画として息苦しさを感じたのも事実です。
アメコミヒーロー映画にはもう少し伸びやかさ、大らかさも欲しい。


ノーランは明らかに登場人物に愛情を注いでいません。
ルフレッド(マイケル・ケイン)やルーシャス・フォックス(モーガン・フリーマン)らの扱いを観てもそう。
もし彼らがあんな行動やこんな行動を示してくれたら、もっと盛り上がったのに。
そう脳内で反復してしまいます。
これがアメコミらしい開放感に繋がっていない、いわばアメコミらしくない原因の1つでしょう。
私はノーランのリアリズム路線を支持しますが、アメコミらしいケレンはもう少し欲しいとは思いますね。



それにしても、です。
「男気」という言葉はあるのに、同じ意味で女性に当てはまる言葉は無いのかと思いましたよ。
「女気」だと意味が変わってしまいますし。
「女子力」「女心」と言う人もいるそうですが、それもちょっと違いますしね。
ここは「胆力」と言い替えましょうか。


上映時間165分は少々長く感じられ、途中で30分は切れた筈。
前作『ダークナイト』の方が密度が濃く、求心力がありました。
こちらはいささか人物も多過ぎで、内容も詰め込み過ぎて、かえって散漫なのではないでしょうか。
そんな思いを抱きながらどことなく乗り切れずに観ていたのですが、幸運にもそれは途中まででした。


観よ!この高揚感。
聴け!地鳴りのような迫力。
ノーランの演出は全体に力技を効かせた強靭なものですが、終幕の直線的に盛り上がる壮大な展開には圧倒されます。
それまで個性豊かに彩られた各人物達の群像ドラマが、ここに生きて来ました。
ある者はやはり…と頑張りを見せ、ある者はまさか…と裏切ってくれます。
プロット自体がツイストを効かせており、ノーランは基本的にミステリ/スリラーの作家だと改めて思わせてくれます。
しかしそこに塗されたドラマと呆れるばかりの大アクションの連打は、これはもう参りましたといか言いようがありません。
シリーズ初めて単独で曲を書いた(事になっている)ハンス・ジマーの音楽は、IMAXの大音量もあって地響きサウンドを聴かせてくれました。
大風呂敷を広げても伏線はきっちり回収され、終幕にはまさかの感動的な場面が待っています。
文句やケチはつけようものなら幾らでもつけられる、やや粗い脚本であっても、ノーランの剛腕演出にねじ伏せられた感。
こうして観ると、あぁ無事に完結して良かったなと思いました。


ブルース・ウェインバットマンには、遂に安息が訪れたのか。
それを是非、劇場の大画面で確認して欲しいです。



ちょっと色々と書き足りないので、後日ネタバレも含めて書きたいと思います。