days of cinema, music and food

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祖父の一度目の死


三連休中日の7日から、先日亡くなった祖父の葬儀に行っていました。
死んでから葬儀まで、葬儀業者の都合なのか1週間あった為、火葬⇒通夜⇒告別式という順番でした。
私は娘の運動会があったので、告別式から出席すべく、青森県の田子町まで向かいました。


親戚が集まって20人以上が祖父母宅に泊まりました。
夜は私の父や叔父が数時間もお喋りしながら呑んだくれ、それもまた楽しい光景です。
その席では、農業で使われている農薬散布車を発明したのは祖父だったのに、欲が無いので特許も取らなかった、という話がされていました。
子供の時に、地元ローカル新聞紙の写真入り記事の切り抜きを見せてもらったのを思い出しました。
「特許の必要性を知らなかったのでは?」と私が横から口を出すと、父は「日立の社員だったのだから、特許の必要性は知っていた筈だ。」との事。
酒飲み達は楽しそうに、今頃金持ちになっていたかも…という話で盛り上がっていました。


遺影が置かれた部屋に敷かれた多くの布団。
いびきの音も聞こえます。
ここで寝泊まりします。
東京近郊と違って、夕方からはすっかり涼しくなっていました。
寝るのには心地良いくらいです。


告別式の参列者は数十人程でした。
出席した田子町町長の言葉もありましたが、民主党員だった祖父なのに、みんなの党員や自民党員からも弔電がありました。
田子で1か月余り過ごした夏休み、弟と帰京する際に祖父が一緒でしたが、国会に陳情しに行くついでだと聞いた事を思い出しました。
また町長の言葉に5期17年間も町会議員を務めたというのがあり、結構長かったようです。


愛想は悪くないけれども、どちらかと言うと寡黙、でもいつも遊びに来た私達に何かしら声を掛けてくれた祖父は、議会でも余り余計な口は利かず、しかし物事が決まらない場合は祖父の発言で方向性が決まる場合も多々あった、と母からも聞きました。
叔母も祖父の事を「(死んでも)未だに大好き」と言っていますし、やはり祖父は人望の人だったのでしょうが、実力の人でもあったようです。
こんな話も葬儀の場だからでしょう。
死んだときの年齢も85歳ではなく、86歳だったと知りました。


人は二度死ぬという言葉があります。
一度目は死んだとき。
二度目は死んだ人を覚えていた人が死んだとき。
その意味では、まだ祖父は私の中では生きています。
今回は祖父の色々な面を知りましたが、それでも私にとってはいつも「優しいおじいちゃん」なのです。