days of cinema, music and food

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終の信託


周防正行の期待の新作映画『終の信託』を金曜ミッドナイトショウ鑑賞しました。
0時10分からの回は、初老の紳士と私を入れて2人のみ。
大コケとは聞いていましたが、まさか公開1週間目最後の日でこんな入りとは、寂しいものです。


呼吸器内科医の折井(草刈民代)は、同じ職場の医師・高井(浅野忠信)との不倫で悩み、宿直中に睡眠薬自殺を図ります。
同僚らによって無事生きながらえた彼女でしたが、重度の喘息で入退院を繰り返す江木(役所広司)の優しさ、聡明さに触れて、生きる希望を抱くようになります。
ある日、退院した江木と偶然出くわした折井は、もしものときは延命治療をしないでくれ、と頼まれますが。


周防正行は間違いなく優れた監督、脚本家です。
『ファンシイダンス』、『シコふんじゃった。』、『Shall we ダンス?』、『それでもボクはやっていない』と、がっちりしたオリジナル脚本に、詰め込めるだけ詰め込んだ情報、きめ細かなドラマとユーモアを盛り込み、どれも高水準の出来映えでした。
本作は初めての原作もの。
終末医療、人間の触れ合い、密室の取り調べ等々、映画向きのテーマを幾つも内包していますが、過去作と違ってユーモアを極力排した作りにより、徹頭徹尾シリアスな作りとなっていました。
しかしがっちりした演出は紛れもなく周防作品との印象を受けました。


本作の草刈民代を観て、これは凄い女優の誕生だと思いました。
『Shal we ダンス?』では台詞棒読みであっても、美人で独特の雰囲気があったので、日本には珍しいタイプのスターになりそうと期待していたものでした。
しかし本作での彼女は、演技の上手い下手を通り越した熱演と求心力があります。
殆ど出ずっぱりで表情も余り変わらないし、主役にしては口数が少ない方。
むしろ周囲の人間の反応が明確なくらいです。
しかし紛れもなく、折井は草刈を通してそこに存在していました。


私はエンドクレジットを観るまで原作の存在を知りませんでしたが、この構成も凄い。
1人の優秀な医者の心の変遷をじっくり描きながら、終末医療についての彼女の行動を観客に納得させる100分程。
全体に静かに地味に進むので、後半に用意されている病室の場面は衝撃的展開でした。
ホラー映画真っ青とはこの事。
大きな転調がそこであったので、それ以降にある検事室での恫喝の数々も、映画の流れとして納得しました。
その最後の40分程は、大沢たかおの検事が追い詰めます。
彼が追い詰めるのは、ヒロインだけではなく観客をも、なのです。
彼が問うてる相手は、それまでを観ている観客でもあるのです。
何と冷徹な構成でしょうか。
折井の、そして彼女の行動を観て納得していた観客に対して、内省を求めるのですから。
いささかバランスを崩した感もあるが、私はこの静かで重い熱気を受け止め、評価したいです。


周防正行のがっちりした演出は風格さえありました。
正統派でありながら、飽きさせないという点で、巨匠ウィリアム・ワイラーを想起さえさせます。
印象的なのはキャメラワークです。
普通の映画だったら写すであろう人物の顔を、写したり写さなかったり。
カットで割らず、じっくり据えた長回しも多い。
俳優の生理が伝わるような生々しさ。
となると、病室での不倫場面での草刈民代の裸体も必然なのです。
粒子粗めのフィルム映像は終盤に際立ちます。
夜になった検事室での取り調べを、闇が覆うかのよう。
暗部諧調ぎりぎりで見られる物もありますが、草刈民代の髪が漆黒に潰れて行きます。
ヒロインはその取調べで変わります。
動揺し反論し、自らの信念を、内面を吐露します。
対する検事役大沢たかおの憎たらしさ。
この人も別に上手い役者だとは思わなかったのですが、観客の憎しみをいらだちをぶつける相手として不足はありません。
彼の言っている事は、必ずしも間違っていないものもあるのですから。
この大沢の演技は、草刈と共に名演技に入るのではないでしょうか。
この2人を観ると、演技の上手い下手と観客の心を掴む演技とは、必ずしも同義でないと改めて分かります。
だから、この2人の演技は素晴らしい。
一方の役所広司は、いつもの役所でしたぁ。
嫌いじゃないのですが。


大力作で衝撃的で素晴らしい映画で大いに感銘を受けましたが、一方でヒットしないのも頷けました。
深刻なテーマを観客に考えさせるという意味のある映画ですが、今の日本では受け入れられにくい種類の映画でもあるのでしょう。
この、場面ごとに密室ならではの濃密さを思い起こさせる、人間同士の力学を考察した秀作が見逃されるとは。
勿体無いし残念な限りです。