days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

Trouble with the Curve


『人生の特等席』をミッドナイトショウ鑑賞しました。
3連休中日の公開初日の土曜24時5分からの回は、大スクリーンが素晴らしい小屋だったのに入りは10人程度、しかも殆ど男性ばかりという寂しいものでした。
大賑わいのヱヴァとは大違いでしたが、これは仕方ないのでしょうね。


ガス(クリント・イーストウッド)はMLBアトランタ・ブレーヴスのヴェテラン・スカウト。コンピュータを拒否し、自分の足と目と耳と勘で選手を発掘してきた、超の付く頑固偏屈老人です。
一方で、自分がスカウトした選手は心のケアもする、繊細さも持ち合わせています。
しかし担当地区での超大物高校生をドラフトするかどうかというときに、緑内障を患っていると判明します。
今は球団との契約が残り3か月というとき。
ここで失敗すると、ガスの能力に疑問を抱きつつある球団から更新されない可能性もあります。
弁護士事務所勤務でパートナー候補である娘ミッキー(エイミー・アダムス)は、ガスに煙たがられながらも、ノース・カロライナのスカウト小旅行に同行する事になりますが。


イーストウッドエイミー・アダムスは大好きな俳優だし、彼らに同行する事になるボストン・レッドソックスの新人スカウト役ジャスティン・ティンバーレイクも、観ていて楽しい、勢いのあるスターです。
内容だって好きなMLBを扱っているのだから、興味津々なのは当然でしょう。
予定調和の内容でも安心して観ていられるが、クリントの頑固偏屈爺さんが予想以上に強靭で笑えます。
先日、友人と「年を取ると短気になる」「困った老人」といった話が出ました。
このガスは間違いなく、そんな迷惑老人として登場します。
テーブルにぶつかると蹴飛ばして破壊し、バーで娘に言い寄る男が出ると割ったボトルで掴みかかる。
人の話は聞かないし、質問にも答えない。
頑固、頑迷、偏狭、偏屈。
そんな楽しい単語がぽんぽん出て来る、思わずにやりとする愛すべき老人振りが笑えます。
ここら辺はクリントもリラックスした演技を見せてくれます。


でも故人的には困った映画でもあるのです。
一般的に言って、映画には題材に対する誠意があるかどうか問われる場合があると思っています。
本作のスカウト関連の描写を観ると、そこがかなり怪しいのですね。
全て事実通り正確を期すべし、等と野暮を言うつもりはありません。
史実を都合よく改変した『マネーボール』も私は好きですし。
の映画には負け犬の終わりなき戦いというドラマが描かれていて、MLBはその為の方便でした。
でも球団の仕事ぶりの描写は、かなりよく出来ていたと思います。
無論、嘘や改変も多いでしょうが、少なくとも嘘臭さはありませんでした。
観ていてリアリズムや臨場感があったのです。
ところが本作の場合、根幹となるスカウト描写が余りに滅茶苦茶なのです。
例えば、主人公はPCを毛嫌いして使えない(使わない)男として描かれています。
スカウティング・リポートはPCで提出するだろうとか、年中移動が多い仕事柄、飛行機のチケットは自分でPCで取るだろうとか、PCが無いと仕事にならないだろうと思ってしまいます。
またガスを毛嫌いするスカウトはPC万能主義で、実際の選手を一切見ない人として描かれています。
百歩譲ってガスの担当区の選手だから見なかったとしても、見ないのを開き直っているかのような台詞があります。
そんな発言をGM(すっかり渋くなったロバート・パトリック)の前でしますか、普通。
デジタルとアナログをゼロか100かで描く手法には、かなり眉を潜めてしまいます。


どこまで描けばOKかNGかと明確に規定出来ないし、多少の改変は許されても、余りに現実を無視した描写ばかりゆえに、観ていて困惑してしまいます。
プロットを成立させる為に嘘八百を並べてしまっているのは、まぁ良いでしょう。
しかし嘘八百を並べるならもっと上手に語って欲しい。
そういった配慮やデリカシーが、この脚本には決定的に欠けています。
古き良きアメリカ映画の伝統ならではの良さを描きたかったのだろう、とも想像出来ますが、幾らなんでも細部は重要でしょう。
こういった浅薄さは終盤の大事な場面にも露呈し、父が娘と疎遠になる理由も深みに欠けて、あっさりお互いに納得してしまいます。
この底の浅さはイーストウッド作品と比較するのは酷なのでしょうか。
いや、そうではないでしょう。
長年、イーストウッドと共にマルパソ・プロを経営して来た新人監督ロバート・ロレンツの演出はそつが無いものの、ランディ・ブラウンによる脚本は練る必要がありました。
サブプロットであるエイミー・アダムスジャスティン・ティンバーレイクの恋愛も。上手く機能しておらず、有機的に結合していません。
初稿を読むかのよう。
そんな思いが幾度もかすめながらの鑑賞でした。


でも白状すると、私はこの映画を拒否する気にはなれません。
野球とゆったりした映画のペースの相性は良いのです。
野球の持つ牧歌的な側面も捉えられているし、野球の魅力を捉えようという作り手達の意思は伝わって来ます。
エイミー・アダムスジャスティン・ティンバーレイクの間で幾度となく繰り返されるMLBトリヴィアは、内容がマニアック過ぎて理解出来なくとも、少なくとも野球に取りつかれる人々の存在を観客に納得させる点においては、効果がありました。
それにクリントのサウスポー振りも観られますし。
なのでどうにもこうにも、ちょっと個人的には困った扱いになる映画なのです。
嫌いで好き、といったところでしょうか。


脇役まで含めた顔触れの楽しさ、つまり主役3人+ガスの上司で親友役ジョン・グッドマンの、『アルゴ』に続いてまたもやの好演含めたアンサンブルは、映画ならではの楽しさでしょう。
贔屓のエイミーは意外な身体能力の高さも見せてくれますしね。
老スカウト仲間連中では、チェルシー・ロスばかり目が行って、我らがエド・ローターに気付かなかったとは不覚でした。