days of cinema, music and food

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The Master


ポール・トーマス・アンダーソン(略してPTA)の新作『ザ・マスター』をミッドナイトショウ鑑賞しました。
公開初日の金曜23時55分からの回は私を含めて9人の入りです。


戦時中に水兵をしていたフレディ(ホアキン・フェニックス)はアルコール依存のまま、無軌道な日々を過ごしていました。
頭にあるのはセックスと酒ばかり。
行く先々でアルコールと暴力によるトラブルを起こしていた彼は、ひょんな事からランカスター・ドッド(フィリップ・シーモア・ホフマン)と知り合います。
ランカスターは作家であり医者でもある思想家で、新興宗教ザ・コーズの教祖でもありました。
フレディはコーズの教えやセッションによって徐々に自らをコントロール出来るようになりますが、彼をトラブルの火種と見なすランカスターの妻ペギー(エイミー・アダムス)らは快く思いません。
やがてフレディとランカスターの間にも亀裂が入り始めるのですが。


本作でまず目を引く要素は、役者の演技による緊張感でしょう。
すっかり形相ばかりか体型も変わってしまったフェニックスに、ぎょっとさせられました。
顔の皺は太く深くなり、白髪も混じり始め、肉体は筋肉ひとつ脂肪一つついていません。
アル中患者の体型を参考にした役作りだそうですが、その顔面演技も見ものとなっています。
一方のでっぷりとした粘着質な、でも掴みどころのない個性を生かしたホフマンとの対比も面白く、この2人の演技巧者に加え、相変わらず上手いエイミー・アダムスの絡みも良く、演技の出来る役者を眺める幸せを味わえます。
やけに高画質な映像(一部65mm撮影と判明)でアップにされた男と男、そして女の、大胆な演技をここは楽しみたいものです。


しかしです。
監督はPTAです。
ブギーナイツ』『マグノリア』の頃の、若く、才気走った技巧も楽しかったものでしたが、前作『ゼア・ウィル・ビー・ブラッド』で見せた「禍々しい異形」を切り取る手腕は本作でも健在でした。
『ゼア・ウィル〜』はダニエル・デイ=ルイス演じるダニエル・プレインヴューというマグマのような憤怒の塊を、ある種天災という形でスペクタクルに描いた力作でした。
本作はそのような発散はまるでなく、互いに磁力を持つように惹かれあい、反発しあう2人の男を、鬱屈としたタッチで描いていて、前作とのシンメトリーとも言えそうです。
映像面では後半にあるバイクの疾走場面が唯一のスペクタクルでしょうか。
カタルシスを呼ぶわけではありませんが。
それでも、密度が濃く、息苦しく、それが力強くバネを持ったタッチで描写されるとき、かくも過去に無いかのような映画として仕上がるのでしょうか。


タイトルの「マスター」は映画の内容からすると教祖、という意味でしょうが、劇中ではフレディとランカスターは必ずしも主従関係ではありません。
教祖であるランカスターは、しかしフレディにも惹かれているときはマスターではないのです。
彼らに限らず、人は必ず、誰かに依存しているものがあるのではないのか。
映画を観ながらそんな事を思いました。


ジョニー・グリーンウッドによる前衛的音楽もあいまって、胸倉掴まれて異世界に連れて行かれるのもPTAらしい。
ゴツゴツした手触りで、顔面演技と映像の相乗効果がもたらす迫力。
なんか凄いものを観たと思いました。