days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

五目餡掛け焼そば@江南→『そして父になる』ミッドナイトショウ


この日のランチは新人君も含めた若手らと一緒でした。
若手ですからまだ大食いです。
炒飯がお代わり自由という新人君の甘言に誘われて、若手のホープもついつい乗せられて、先日伺ったこちらのお店で大盛り倶楽部の開催です。
私は五目餡掛け焼きそば880円を注文。
うん、やはり美味しいです。
具もたっぷりですし、この値段でこの量ですからね。
満足度は高いです。


今日も新人君は元気良く、炒飯のお代わりを2回していました。
爽やか〜 ( ´ ▽ ` )ノ
私は写真の料理で満腹になったので、お代わりせず。
与太話にも花が咲いて楽し昼休みでした。
ご馳走様でした。


さて夜は映画ですよ、映画。
そして父になる』を観ました。
金曜ミッドナイトショウ、23時30分からの回は20人弱の入りです。



大手建設会社で大型プロジェクトを任され、仕事で多忙を極めるエリート社員の野々宮良多(福山雅治)。
ある日、産院からの連絡により、6歳になる息子・慶多(二宮慶多)が取り違えによる他人の子だと判明する。
相手方は、群馬で小さな電気店を営む斎木雄大リリー・フランキー)とゆかり(真木よう子)の夫婦。
良多は斎木夫妻を下品だとばかりに気に入らないが、夫妻は賑やかながらも温かな家庭を築いていた。
交換するのか、元のままで良いのか。
子供に愛情を注いできた妻のみどり(尾野真千子)と斎木夫妻は心を痛めるが、良多は早く交換した方が良いと言う。


カンヌ映画祭で審査員賞を受賞したと大騒ぎの映画で、審査員長だったスティーヴン・スピルバーグによるリメイクも決定したとの報もある話題作です(監督は未定)。
是枝裕和の演出と脚本も、優れたキャストらによる演技も、お涙頂戴に陥らず、大袈裟になりません。
どちらかと言えば観客の感性を信用して訴えかけるアプローチを取っています。
もっとも、図式的とさえ言える作為が目立つ箇所も多く、だから分かり易く、海外で受け入れられやすかった、というのもあったのでしょう。
例えば都心の高層高級マンションに住むエリート一家と、地方の小汚く狭苦しい、しかし温かみのある一家。
良多の両親(風吹ジュン、故・夏八木勲)の存在と言動。
優しく大人しい慶多と、明るくやや乱暴な斎木琉晴(黄升荽(ファン・ショウゲン))。
余りにも対象的な配置が目立つものの、それらはこの映画の瑕疵になっていません。


役者としての福山は私にはお初。
傲慢で自ら何でもコントロール出来ると思っていながら、実は何一つコントロールできない男・良多を好演していました。
実に嫌な男なのですが、福山に品があるので汚らしくありません。
良多が嫌悪を抱く小汚い(失礼!)リリー・フランキーは下品で粗野な言動でありながら、温もりのある好演。
「おかえり。電球?それとも凧揚げ?」の台詞が温かい。
尾野真千子真木よう子の女性らも立体的で良かったです。


是枝監督は役者の演技と台詞にのみ寄り掛からず、映像を使った間の演出が素敵でした。
また特筆すべきは、これが撮影監督としては長編初という写真家・瀧本幹也の撮影。
印象的なのは要所では役者の顔を見せないところでした。
疲れたみどりが慶多と電車に乗っていて、「2人でどこか行ってしまおうか」と言う場面。
電車は駅に停まり、彼らは陰に隠れてしまう。
あるいは終幕で、良多が慶多を歩いて追う場面。
良多は背中を向けて先を進む慶多に呼びかけますが、慶多はこちらを振り向きません。
このような映像の使い方にも関わらず、観客に想像力を喚起させて、より人物の感情を意識させます。
何でもかんでも演技と台詞で説明するTV的な映画が多い中、こういう映画らしい手法は大歓迎です。
またフィルム撮りなのも映画の題材に合っていました。


昭和40年代までは取り違え事件はたまにあったらしく、殆どの場合が育てた子よりも血の繋がった子を選んだといいます。
それは父権の強かった時代に、子育てに殆どタッチしてこなかった父親主導で決められた、という事情もあったのでしょう。
しかし、この映画の主眼は取り違えそのものを主眼に置いているのではありません。
子供とは何か、父親とは何か、家族の在り方とは何かを、観客に問うています。
映画では結論めいたものを一応は出してはいるものの、野々宮家と斎木家の物語はまだまだ続く筈。
観客はエンドクレジットが流れる間、自らの胸の内で問いを反芻する事になるでしょう。


機会があったら是非。