days of cinema, music and food

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生後半年記念撮影@らかんスタジオ 吉祥寺N.Y店→ "Carrie"→映画の検閲


あれ、もう生後半年経ったのですね…という事で、前もって1年間に3回撮影コースを取っていたので、平日木曜に有給を取っての行事になります。
前回はお宮参りでしたが、今回は生後半年の撮影となりました。
その前回では同伴してもらった私の両親でしたが、今回も来てもらうのは申し訳ないので、妻子らと4人で車にて向かいます。
そのお宮参りでは赤子が主役の筈でしたが、文字通り娘が実質主役でしたでした (^^;
普段からドレス着ての御姫様ごっこ大好きなコスプレイヤーですから、超大喜びをしたものです。
今回も同様。
もうメイクにヘアーにドレスと、超張り切りバッチリ気合!
一方の息子はフラッシュが嫌だったらしく、超不機嫌に (^^;
最後まで笑顔での撮影とはならなかったのでした。
まァ…これもまた、良き思い出となるでしょう。
娘は今回もまた超楽しかったらしく、まだまだまだまだ撮ってもらいたかったようでした。


さて午前中はそんな行事がありましたが、夜は映画に行って来ましたよ。
キャリー』レイトショウ鑑賞は、平日木曜20時50分からの回は10人弱の入りです。



狂信的な母親(ジュリアン・ムーア)の元で育てられたキャリー・ホワイト(クロエ・グレース・モレッツ)は、高校のいじめられっ子だった。
そして実は念力能力を持つ少女でもあったのだ。
だが同級生スー(ガブリエラ・ワイルド)はそれまでの自らの行いを恥じ、罪滅ぼしにと、プロムナイトの夜に高校の花形スターで自分の恋人であるトミー(アンセル・エルゴート)とのデートを画策する。
一方、いじめの懲罰を受けた悪質なクリス(ポーシャ・ダブルデイ)は逆恨みし、恋人ビリー(アレックス・ラッセル)を炊きつけ、さらなる復讐をキャリーに行おうとするが。


スティーヴン・キングの処女小説(厳密には違うけど)の映画化…というより、1976年のブライアン・デ・パルマ監督、シシー・スペイセク主演の名作ホラーのリメイクと呼ばれるのは、これは仕方がありません。
それくらいあちらの映画版はインパクト強烈だったのですから。
低予算で粗いドラマ部分もあり、技術的にも今からみれば拙い筈なのに、終盤のプロムナイトでのサスペンスとスリルの盛り上がり、一気呵成のカタルシスと恐怖、伝説的なエンディング(今は妻となった女性にかつてLDで見せたとき、見事に飛び上がっていました)と、凄いものでした。
こちらはあちらを意識したのか、冒頭も結末もかなり違うものとなっています。
オリジナル版では全裸の女子高生達が湯煙シャワールームの中ではしゃいでいる様をスローモーションで描いた幻想的場面で、そこでキャリーの初潮といじめが描かれている有名なくだりでした。
こちらは女性が出血するのは同じとして、何とホワイト夫人なのだからして。
ここら辺、わざと変えたのだろうな、と思わなくもありません。
ラストも舞台は同じなのに、全く違うものとなっています…が、微妙な変奏版という感じでもありました。


結論から言うと100分という上映時間の間、退屈はしませんでしたが、キンバリー・ピアースの演出と編集が何とも平板で、盛り上がりに欠けていたように思います。
またヘンに小細工したのが裏目に出て、登場人物の感情の流れに納得できない箇所が散見されました。
詰めが甘いのではなく、余計な数秒がぶち壊しにしていたのです。
たったの一言、たったの数秒の映像の数か所でそう思わせるのですから、映画とは怖い芸術・表現手段なのですね。


オリジナル版ではシシー・スペイセクが演じていたキャリー像と、こちらのキャリー像も全く印象が違います。
撮影当時28歳だったシシー・スペイセクが女子高生と演じていたのもびっくりですが、あちらの如何にもみじめないじめられっこという雰囲気がまた強い印象を残していました。
こちらはヒット・ガールことクロエ・グレース・モレッツが、撮影当時15歳と役柄に近いにも関わらず、随分と強そうに見えます。
肩幅がっしり、二の腕がっちりの可愛い子なので、いじめられっ子といっても余りみじめな感じがしません。
この子、実はタフなんじゃないか、とさえ思わせます。
だからこれは、演技も含めた彼女のアイドル映画・カタログ映画という位置付けとして観れば良いのでしょう。
ジョニー・デップにおける『ブロウ』、ナオミ・ワッツの『マルホランド・ドライブ』のような。
クロエの起伏に富んだ演技、大女優ジュリアン・ムーアとの絡み、クライマクスの超能力演技と、見どころたくさん。
オリジナル版と違って自らの能力に自覚的で、スポ根宜しく特訓さえするのです。
ですからクライマクスでは能力全開という流れも納得が行く筈なのですが、前述したように平板で盛り上がらないのが勿体無い。
むしろ先日公開された『クロニクル』の方が、『キャリー』の正当な後継者だとさえ思えるくらいでした。



また、この『キャリー』は、一部映像を暗くして映倫のレイティングをR15+からPG12に下げたとして、ネットでも話題の映画でもありました。
クライマクスのとあるアップショット2箇所が恐らくその該当箇所なのでしょうが、オリジナル映像同様に明るくしても大して変わらなかったのではないか、と思いまし。
またひょっとして、刃物殺傷ショット(刺さる映像)が無かったので、日本版はカットされているのかも知れません。
真相は今のところ分かりませんが。


日本に輸入され、公開される外国映画は税関で検閲され、映倫でも検閲され、場合によっては両者により改変させられてしまいます。
邦画の場合は脚本の時点で映倫の検閲が入ります。
表現の自由という観点から、私個人はこれら改変に全くの大反対です。
しかし実際に行われているのが現実です。


検閲が行われた場合、事前に映画配給会社は観客に告知すべきです。
また映倫も簡単な理由を公式サイトに掲載するだけではなく、厳密にどのような場面のどのような箇所によってレイティングがこうなった、と明確に理由を出すべきです。
例えそれがネタバレになったとしても、です。
情報公開とはそのような事を言うのですよ。
例えば昨年劇場で観た『エクスペンダブルズ2』が、実はカットされていたとBlu-ray Disc発売時に知って、何だか騙された気がしたものでした。
また『ぼくのエリ 200歳の少女』など、ボカシの向こうの意味がパンフレット読まなければ分からなかったくらいです。
そもそも「映っていないもの」をボカすとは、何たる愚かな事か。
映画の検閲には、こういった例が枚挙にいとまがありません。


映画業界はそもそも表現する媒体を扱っています。
ですから日本の映画業界は、もっと表現する事に対して自覚的であってもらいたいものだし、またそうあるべきなのです。