days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

Only God Forgives


ウルフ・オブ・ウォールストリートに続けて、『オンリー・ゴッド』を鑑賞しました。
2月10日の飛び石連休の谷間、平日月曜15時40分からの回は20人程の入り。
過半数が中高年女性客だったのは、ライアン・ゴズリング目当てだったのかな。


バンコクでキックボクシング・クラブのオーナーをしているジュリアン(ライアン・ゴズリング)は、麻薬組織を仕切っている青年だ。
ある日、実兄ビリーが惨殺された。
売春をしていた14歳の少女を殺害し、その父親に復讐されたのだ。
復讐を促したのは元刑事チャン(ヴィタヤ・パンスリンガム)。
彼は独自の基準で苛烈な制裁を行う男でもある。
やがて兄弟の母クリスタル(クリスティン・スコット・トーマス)がアメリカ本国から乗り込んで来る。
組織のボスでもあるクリスタルは、チャンへの復讐をジュリアンに命じるが。


氾濫する色彩。
じわり観客を責め立てる凄惨な暴力。
物言わぬ無表情な主人公。
『ドライヴ』でコンビを組んだニコラス・ウィンディング・レフンライアン・ゴズリングの犯罪映画で基調と成すのは、それらの要素です。
前作は定番のプロットを風変りに仕立ててありましたが、本作はそれ以上にユニークな作品となっています。
特に目を引くのは過激でどんよりとした徹底的な暴力と、人工的な照明も含めた映像です。
血を血を洗う復讐の連鎖は目を背けたくなるような暴力に満ち、それらは赤、青、黄といった照明に照らされた夜のバンコクの街に、幻想の一部として埋没していきます。
私が映画を観ながら想起したのは、スタンリー・キューブリックの『2001年宇宙の旅』と、ケン・ラッセルの『エレメント・オブ・クライム』です。
唐突に挿入される幻想場面の効果もあり、映画を観ている間、外宇宙と内宇宙を行き来するかのような感覚に襲われました。
超暴力的な映画ですが、必ずしもリアリスティックではありません。
凄惨な描写は頻発するものの、この世の出来事ではないかのよう。
これはあの世とこの世を繋ぐ幻夢的映画です。


そもそもチャンという男がユニークです。
白い襟に真っ黒な半袖シャツを着ている彼は、制裁を加えるときに服の背中に隠し持っていた剣を出します。
これだけで非現実的です。
チャンは時に復讐を担い、時に制裁を下します。
しかしその基準は判然としません。
チャンは無慈悲な神そのものと思って良いでしょう。
公平、不公平など気にせず、気まぐれにしか思えないような行動を取る神。
一方で幼子を可愛がる面も持っています。
制裁を下した後、彼はカラオケに興じます。
いや、興じてはいないのでしょう。
日本のカラオケボックスやカラオケバーと違い、能面のような客が聴衆となっている店内で、真摯そのものに歌うのですから。
あたかも儀式のように。


そんな彼に挑むのがジュリアンです。
世界一後頭部が美しいライアン・ゴズリングは、無表情で無口な、でも神に挑む男を演じています。
基本的に能動的とは言えず、ジュリアンは運命を受け入れる男として描かれています。
となると、彼は神に挑むのではなく、神に触れたいのかも知れません。
彼を支配する怒れる母親役クリスタルが強烈です。
明るい基調の服にブロンド・ヘア。
兄ビリーを贔屓してジュリアンには冷たく、情け容赦ないボスでもあります。
クリスティン・スコット・トーマスは『イングリッシュ・ペイシェント』での気品あるヒロイン役が印象的でしたが、本作では基本的に細いものの、やや肉付きと共に貫禄が増した怪物役を怪演しています。
彼女もまた、理不尽な神に、そうとは知らずに挑戦するのです。


プロットは犯罪映画のそれでも全体的に神話的色彩を帯びている映画は、冒頭から幻想的です。
そしてここには、己の世界観で己の描きたい事を描き尽くそうという、作者の強い意志が感じられます。
台詞は極端に削ぎ落とされた無口な映画なのに、映像や音楽など饒舌ですらあります。
だから90分という短い時間は濃密そのもの。
その独特な世界に私はすっかり魅了されてしまいました。
しかもその饒舌さは攻撃性とは全くかけ離れたものです。
となるとこの映画は、神と対話したかった男の物語なのかも知れません。