days of cinema, music and food

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graphic novel "From Hell"


待望の邦訳が出たグラフィックノヴェルの『フロム・ヘル』を読了しました。
アラン・ムーア、画エディ・キャンベルのA4版、上下巻の分厚いソフトカバー。
アラン・ムーア原作の作品は、今年になって『ウォッチメン』や『トップ10』と立て続けに発刊され、それぞれ面白く読みました(それぞれの感想は、ここと、ここ)。
価格が高いのもあって好事家以外には売れないでしょうから、出してくれる出版社の努力は有難いものです。
この手の書籍には珍しく、先日の朝日新聞に出版紹介の記事が載っていました。
普通のニュースになるということは、みすず書房という専門書を出す硬い会社にとっても、ちょっとした英断だったのでしょう。
そしてこの大作の訳は、この人が最適任という柳下毅一郎です。
何故適任か?
本書が19世紀末にロンドンを震撼させた切り裂きジャックを題材にしたコミックだからです。


切り裂きジャックに興味を持つようになったのは、仁賀克雄の書いた『ロンドンの恐怖―切り裂きジャックとその時代』を読んでから。
ミステリ好きには興味引かれる題材ですよね。
当然のように事件を題材にした本書の映画版を観に行き(当時書いたレヴューを読み直すと、やはり原作とは相当に違うものだったようです)、その際に原作コミックがあることを知り、読みたくなったのです。
しかしながらコミックと言えども情報量、文字量がぎっしりと知り、英語で読むには自分の語学力では難解と判断しました。
よって私にとっては待望の邦訳なのです。
邦訳を読んでも、原書ではかなり難渋しそうな内容でした。


水彩画のようなタッチのコマも含めて、全編モノクロで描き出された世界は、荒々しい画と緻密で入り組んだ構成や語り口も含めて、読み手を異世界へと誘います。
基本は1ページに9コマ。
1コマが縦長になるのは、日本のコミックとは異質です。
要所はレイアウトを変えてはいるものの、かっちりした印象を与えるコマ割りによって作品も端正な印象を与えます。


被害者が全員街娼というのもあり、性器も含めて露骨な性描写が散見されますが、作品にはポルノグラフィックな興味などまるでなく、惨たらしく切り刻まれた死と並列に扱われています。
人間の生と性、そして死が安い価値でしかない、混沌とした世界なのです。


と同時に、知的好奇に溢れる世界でもあります。
脇役としてエレファント・マンことジョン・メリックやオスカー・ワイルドらが登場し、それぞれ知的な存在として描かれます。
彼らの存在は作品世界の重要な要素であり、出番が少なくとも記憶に残る存在です。
知的好奇の象徴とも呼ぶべきなのは、王室医師であるウィリアム・ガル卿。
彼の長々として弁舌が続く章よりも、彼の末路を描いた終幕が圧巻です。
時空を行き来するその精神の描写は、コミックならではの表現。
この章には圧倒されました。
私自身の解釈では、本書は1つの歴史を描いた、というもの。
人はどこから来て、どこに行くのか。
そのテーマが、ムーアの興味が、この章に集約されています。
そう考えると、『ウォッチメン』も『Vフォー・ヴェンデッタ』も、架空の歴史書とも読めます。


そして何よりもこの作品を特異としているのは、切り裂きジャック事件を犯人側から描いている点でしょう。
映画版では捜査するアバーライン警部を主人公としていましたが、コミックでは警部は飽くまでも主人公の1人。
真の主人公は犯人なのですから。
複雑な構成は『ウォッチメン』のムーアらしく、しかも非常に上手く行っています。
緩急付けた語り口も見事。
最後の被害者の「解体」にページを割いた章は、殆ど台詞を排してこちらも圧巻です。
強烈にグロテスクでありながら扇情的ではまるでなく、淡々とした描写が寒気を誘います。


全体に読み応えがあるだけではなく、読後感もすこぶる充実。
巻末の詳細な作者自身による脚注も含めて、ずしりと重い大作となっています。
そして脚注を読みながら、再び最初から読み直したくなるのです。
これは傑作です。


フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 上

フロム・ヘル 下

フロム・ヘル 下


久々にこちらも観直したくなりました。
物足りないだろうなぁ、とは思いますが。


私が読んだのはこちら。

現在は新版しか出ていないようです。
新・ロンドンの恐怖―切り裂きジャックの犯行と新事実

新・ロンドンの恐怖―切り裂きジャックの犯行と新事実