days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

スーパースターたちの宴@バンクーバー冬季オリンピック


昨日日曜日は、楽しみにしていたエキシビジョンを観ました。
4年前は総集編も含めてじっくり楽しませてもらいましたが、残念ながら今回はエキビジョンのみの鑑賞。
4年前との状況の最大の差異は、子供が生まれたことです。
しかし娘も楽しそうに見てくれていたので(普段、テレビを見せていないからかも知れませんが)、これはこれでこちらの思い出になります。


トップアスリート/ダンサーたちの伸びやかな、かつ雄弁な肉体の舞いは素晴らしいですね。
浅田真央エフゲニー・プルシェンコ高橋大輔キム・ヨナ安藤美姫
競技の際に素晴らしい滑りを見せてくれた鈴木明子が観られなかったのは残念。
男子フィギュア金メダリストのエヴァン・ライサチェクは知らないアスリートだったのですが、エキビジョンでのショウを観ると、新たな世界的スターの誕生だと思いました。
ただ、トリノ五輪の方がフィナーレも長く、またプルシェンコの独壇場でもあって、満腹感はありましたね。
今回はライサチェクがアンコールをしてくれれば良かったのですが。


昨日は映画を観ている間、スポーツとナショナリズムの関係について考えてしまいました。
五輪開催期間中、私の脳裏を離れなかったことでもあります。
第二次世界大戦時にマスメディアも含めてナショナリズムによって戦争を支持した経緯により、今の日本ではナショナリズムを毛嫌いする風潮があります。
また一方、過去を見つめるのではなく、都合の良い感情論だけでナショナリズムを鼓舞する風潮もあります。
日本に住んで社会に属しているからには、自分と他者にとって幸福になるべく方向性を見出すべき(幸福になる権利)。
社会の進むべき方向は個人だけの力ではいかんともし難いのですから、1つにまとまって動かなくてはならない(それを明示したのが『インビクタス 負けざる者たち』のネルソン・マンデラでした)。
1つにまとまるためには、冷静なナショナリズムがある程度必要です。
そのためにスポーツが利用されてきたのは、ナチスドイツの例にもある通り。
それでも、豊かな社会にする為には文化が必要であり、スポーツは文化でもあります。
民主党政権事業仕分けによってスポーツ関係の予算もかなりカットされてしまいましたが、では不況の世の中に文化は不要なのかどうか、といった議論もすべきでしょう。
そもそもこの国において、文化とはどのような存在なのか、といった話にもなります。
政治家が明確な長期的ヴィジョンを持ち、それを戦略として示し、戦術を実行するのが必要だというのに、それを示しえていない現状を映し出してもいる、とも言えそうです。
もっともこれは、民主党だけではなく、旧与党であった自民党にも大いに責任はあるのですが。
政治家は言葉が武器なのですから、もっと明確に言葉を使ってもらいたいものです。
明確な言葉を持たない政治家は、明確なヴィジョンが無いということ。


比べて最高の舞台で活躍したアスリートたちは、明確な言葉(肉体言語)を持っていたように感じました。
それはナショナリズムを超えたものだったと思います。