days of cinema, music and food

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石上三登志氏の死去


日曜の夜、Twitterのタイムラインを眺めていたら、個人的にかなりショッキングな訃報が飛び込んで来ました。
重度の病気との旨は知っていたので、いつかは…と予期はしていましたが、やはり実際に起こると寂しいものです。


石上三登志氏、73歳。
最初にファンになった映画評論家はこの方です。
小学校高学年のときでした。
ミステリ映画、怪奇映画、SF映画等、娯楽映画を幅広く紹介、批評していた人でした。
昔はそれらの映画はゲテモノ扱いで、まともに批評対象とされていなかったといいますから、かなり独自路線の方だったのでしょう。
無論、石上氏の前に双葉十三郎氏という、さらに幅広く批評していた大きな存在が先に居たのではありますが。
三軒茶屋古書店で見つけた表紙イラストも素晴らしい『吸血鬼だらけの宇宙船』(1977)は、未だに私のバイブルです。

吸血鬼だらけの宇宙船―怪奇・SF映画論 (1977年)

吸血鬼だらけの宇宙船―怪奇・SF映画論 (1977年)


SF映画の冒険』(1986)は同時代的に楽しめた、これも良い本でした。

SF映画の冒険 (新潮文庫)

SF映画の冒険 (新潮文庫)


石上氏の文章との最初の出会いは、SF専門誌『スターログ』か、あるいは下馬図書館で毎週借りていた『刑事コロンボ』シリーズのノベライズかの、どちらかでしょう。
前者では連載記事と、時々特集号に寄稿もしくは座談会等でよく登場されていました。
後者では企画、幾つかのエピソードの執筆、各巻末におけるミステリ会著名人との対談(横溝正史も登場していました)等、かなり目立っていました。
どちらにせよ、小学校高学年という多感な時期に出会っただけに、影響はかなり大きかったです。
私のサム・ペキンパー映画観は、この人の著書『キング・コングは死んだ −私説アメリカ論』に大きく影響されています。

キング・コングは死んだ―私説アメリカ論 (1975年)

キング・コングは死んだ―私説アメリカ論 (1975年)


石上氏は、フロイトのエディプル・コンプレックス論を映画批評に持ち込んだ人でもあります。
今では流行らない手法ではありましょうが、小学生には読んでいて十分にスリリングで面白かったです。
1977年に北米で公開された『スター・ウォーズ』が巻き起こしたブームの際は、スター・ウォーズ評論家として大忙しだったそうです。
そう言えば『帝国の逆襲』公開時の特番にも出ていました。
1980年代中期で起きたSFXブームの時は、中子真治氏と一緒にテレビに出ていた事もあっりました。
低くよく通る声で印象的でした。
そうそう、分厚い大型豪華本『ジョージ・ルーカスのSFX映画工房』というILMを扱った本の訳者もしていました。

ジョージ・ルーカスのSFX工房

ジョージ・ルーカスのSFX工房

1977年には季刊誌『映画宝庫』を、筈見有弘増淵健の両氏らと共に刊行していました。
この2人もとっくのとうに亡くなっており、今の日本における映画評論家不在は、彼らの早過ぎる死にもよるのではないか、とも思います。
ハリウッド娯楽映画もきちんと批評できる評論家は、拙ブログで何度か取り上げた芝山幹男くらいしかいない状況ですが、スタァ性のある評論家は不在です。
筈見、増淵らがもっと長く元気に批評活動していたら…等と夢想してしまいました。
閑話休題
現在人気の映画専門誌『映画秘宝』は、創刊時に町山智浩が石上氏に『映画宝庫』のような雑誌を作りたい、と挨拶しに行ったという事です。
石上氏らの精神は、こういうところに生きていたようです。


実はこの方、電通の現役プロデューサーと映画評論家の二足の草鞋を履いていた人でもあります。
レナウンのイエイエや、カーク・ダグラスが出演していたネスカフェのコーヒー(一連のシリーズ監督は原田眞人)などは、この人の作品です。
さぞかし忙しかったでありましょう。


合掌。