days of cinema, music and food

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教育とは夢を与えるものか


先ほど、NHKの『クローズアップ現代』にて、杉並区の歴史教科書採択を取り上げていました。
杉並区は扶桑社の『新しい歴史教科書』を採択したのですが、事前の区教員らの各社教科書への評価としては、1番低いものでした。他の科目に関しては教員らの意見に沿ったものが採択され、日本史に関しては、区教育委員会の多数決により、『新しい歴史教科書』が採択されたのです。


2重基準による採択にも問題がありますが、同書採択派の委員の発言も問題です。


「日本の過去を暗いイメージだけで書くのは子どもに夢を与えない。」だから他の教科書と違う、夢を与えられる扶桑社の教科書に賛成したのだ、と。


これって、教育とは何か、現実社会における夢とは何かという問題を、余りにも軽々しく見ているのではないでしょうか。


確かに暗い側面ばかり教えるのは問題でしょう。しかし、正しい知識や、世間的に広く事実と認定されているものを教えずして、それらからかけ離れた夢ばかり与えるのは、本来の教育のあり方とは別物です。正しい知識を与えずして、正しい教育はあり得ません。


私は『新しい歴史教科書』を読んでいないので、同書についてはコメント出来ません。しかしこの教育委員氏の発言には、相当な違和感を感じました。果たして『新しい歴史教科書』は偏りが無いのか、内容が正確なのか、きちんと検証したのでしょうか。その上で夢を与えられると判断したのでしょうか。


このところ、何となく国内の空気が右傾化しつつあるのは、敗戦国としての心理的抑圧の反動なのでしょう。近隣諸国への無神経な発言や、イラクでの日本人に対する「自己責任」発言など、政治家を筆頭にした他者への思いやりが欠けつつある感情は、悪い意味でのナショナリズムの発露に思えます。周りに謝るのはいい加減うんざりだ。国に面倒かける奴は自分で何とかしろ。これらは、数十年に渡って被害者意識に囚われてきたこと(=反ナショナリズムとでも呼ぶべきか)への反発もあるのではないか、という気がします。加えて静かな不況の出口も見えずに階級社会化しつつある中、どこか不満が溜まり始めた世論の空気も感じられます。外的要因である経済的・社会的閉塞感を打破出来ないのであれば、己の内部=夢に逃げ込むしかありません。となると、自己中心的なナショナリズムの夢は、現実逃避によって増えていくのではないでしょうか。


でも、自己中心的な夢ほど、夢の無いものだと思うのです。