days of cinema, music and food

徒然なるままに、食い・映画などの情報を書いていきます。分館の映画レビュー専門ブログhttp://d.hatena.ne.jp/horkals/もあります。

火葬してきました


妊娠19週目の妻の胎内で子供が死んでいると判明したのは、1月28日の仕事中でした。
妻は30日の日曜日に産院に入院し、翌31日に摘出手術。
それまではどこか実感が無かったのですが、いざ目の前で胎児の遺体を目の当たりにすると、それも変わりました。


身長は12cm、体重は35g。
本来ならば健康な肌色なのに、この子はぴかぴかに灰色がかった肌色でした。
担当医によると、死後2週間以上は経っていたようです。
死因は不明です。
こういった死は15%あるそうなのですが、多くは調べても原因不明だとか。
お金と時間が掛かるばかりで分からない可能性が高いからと、原因究明調査は薦められませんでした。


妻の個室に来た赤ちゃんは手足も長く無毛で全体に細長い。
妻と顔を見合わせて思わず2人同時に「宇宙人みたいだね」。
2人共にちょっと吹き出しました。
「性別はどちらだったのでしょうか」
すると持って来て下さった看護婦さんは「どれどれ…(脚を広げて)男の子ですね。ほら」
見ると小さな男性器が付いていました。
娘が生まれる前、妻が欲しがっていた男の子です。
「だっこしてみますか?」と看護婦さん。
では…と、紙の上に載った小さい胎児を抱いてみます。
紙のように軽い。
傍から観れば異様な光景に見えたでしょうが、親からするとそうではありません。
急にこの子のあり得たかも知れない人生や未来、自分が小さな息子を両手で抱き上げている様子が想像されました。
顔を近づけて、手足の指の長さを確認する妻。
私も娘も手足の指が長いので、この子もそうなのかどうか確認したかったようです。
この子も指がとても長かった。
顔を見ると表情は穏やかで、微笑を浮かべているように見えました。
脳は未発達ですから当然ながら感情はまだ殆ど無く、表情は胎児の持つ元々のものなのでしょう。
妻はもし男の子だったら健やかに育つようにと、漢字は考えていないので分からないけれども「けんたろう」という名前を考えていた、と言いました。


この子を火葬してあげる事にしました。
今回は病院と懇意の葬儀業者がいるというので、そちらにお任せする事になります。
役所への証明書提出等の手続きは全てやってくれたので、我々は火葬場に行くだけでした。
個人で手続き等行う場合は、次のような手順のようです。
病院から死産証明書が発行され、印鑑を持って役所の戸籍課に出向きます。
そこで死胎火葬許可交付申請書を記入し、許可書をもらいます。
火葬出来るのは分娩後24時間後でないと駄目なので、当日は火葬出来ません。
実際は翌日以降の火葬となります。
火葬業者に連絡して予約を行い、病院に遺体を預かってもらいます。
当日は遺体と死胎火葬許可交付許可書を持って火葬場に赴きます。
今回、こういった手はずは全て業者の方でやってくれたのでした。


午後はその葬儀業者が来て打ち合わせ。
ヴェテランらしく、しかし遺族への敬意も感じられて安心してお任せ出来ました。
当然ながら胎児は小さいので、お骨も全て燃えて何も残らない場合があります。
出してもらった火葬場候補2つの内、お骨が残る可能性がある場所を選びました。
ここは私たちの家からも車で30分程度なので、都合も良かったです。
「お骨が残る可能性がある」と言っても、実際には何も残らない場合があるので、100円玉を入れてあげると良いと教わりました。
融点の低い1円玉や5円玉、10円玉だと残らない場合もあるそうです。
打ち合わせ後、「もう一度会われたいですか?」と尋ねられたので、その旨希望しました。
しばし待つと、綿を敷き詰めた小さい桐の木箱に子供を入れて再会させてくれました。
棺に花を入れてあげる妻と私。
子供は蓋をされて業者に運ばれて行きました。
火葬当日までは保管室で預かってくれます。


幸いにも術後の経過が良かったので、妻はその日の内に退院出来ました。
本来の退院予定日だった翌日も私は休みを取っていたので、棺に入れてあげるおもちゃや絵本を買いに、2人で出掛けました。
絵本は先日ご紹介したせなけいこのめがねうさぎの小さい本セット。
娘と同じものです。
同じものならば、当日になって娘が「じぶんの!」と言い出して揉めないだろうという予想です。
また同じく小さいぬいぐるみも2つ、娘の分と息子の分を買っておきました。
夜の寝かし付けのとき、娘は「ままのおなかにあかちゃんがいるの?」と尋ねていました。
妻は微笑みながら「ううん、赤ちゃんはもういないの。赤ちゃんは疲れちゃったの。だから今度の土曜日、バイバイしに行こうね」と言っていました。


2月3日まで自宅療養をしていた妻は、昨日から通常通りに勤務。
しかし会議を終わらせると早めにさっさと帰宅し、色々と買物して用意してくれました。
深夜、妻と私でそれぞれ亡き息子への手紙をしたためます。
妻は愛情がたっぷりこもったイラスト入りの手紙を書きました。
私は文章だけの手紙。
手紙は棺に入れてもらうつもりです。


当日の今日、妻と昨日2歳7ヶ月になった娘、実家から来た父と私の4人で火葬に行きました。
母は仕事だったのと、火葬の連絡をしたのが昨日だったので来られなかったのです。
火葬場で赤ちゃんを火葬するのは朝いちとか。
朝は火力が低いとかの理由があるのかも知れません。
9時半からの約束だったので、早めに到着しました。
駐車場は我々の他に3台程。
待合室に通されてしばし待ちます。
娘もけんたろう君宛の手紙を書いてくれました。

「けんちゃんへ」と書いたのは妻です。
3人分の手紙を封筒に入れ、娘がシールをしてくれました。

2つあるワニのぬいぐるみの内、娘がピンクのものを選んだので、緑の方を棺に入れてあげることにしました。
頭の上が鳥の巣になっていて、ひよこが顔を出している可愛らしいもの。
おもちゃがあればけんちゃんも退屈しないだろう、という妻の想いが込められています。


10分程すると業者の方が迎えに来たので、火葬場に向かいます。
我々はこの日の1番手だったようで、まだ他の家族は来ていません。
小さな棺に入れられた子供を目の当たりにすると、もうお別れなのだと実感します。
妻と改めて順番に子供を抱っこし、棺に戻しました。
棺に入れたのは花、我々が分かるようにと妻と私と娘が写っている写真、退屈しないようにとワニのぬいぐるみ、赤ちゃんだからと紙おもつ、栄養も取らなくちゃと携帯式粉ミルク、それと100円玉を数枚です。
これらの物を入れてあげるというのは、100円玉以外は全て妻のアイディアでした。
心も身体も万全でなかった筈なのに感謝すると同時に、彼女の素晴らしさを改めて感じました。
また、ぬいぐるみを入れるとき、普段ならば大騒ぎしたであろう娘も大人しくしてくれました。
厳かな雰囲気が彼女をそうさせたのかも知れません。
絵本は入れず、また手紙は娘を抱っこしていた妻が棺に入れ忘れたので、後日お供えとして渡す事にしました。
小さい棺の上に、寒くないようにと買って来た赤ちゃん用パジャマ、花束を載せて、炉に入って行くのを見送ります。
燃えるまで30分ほど掛かるとの事でした。


帰りの駐車場は30台程で埋まっていました。
まだ朝10時過ぎだと言うのに、これ程遺族などの関係者が多いとは。
その時間帯になると大人の火葬になるのでしょうが、火葬場の日常とは穏やかながらも人が多いものなのですね。


私は無宗教だし、今も魂の存在や死後の世界も信じませんが、それでもあの世の存在という設定は、精神的な救いになり得ると考えて来ました。
今回、世に出る前とは言え子供の死というものを経験して、ダブルスタンダードであってもその感を強くしました。
火葬をして良かったのは、残された妻と私の気持ちに区切りが着いた事です。
死者を送り出す儀式を行う事により、生きて会えなかった息子への思い出が出来ました。
これは何物にも代え難いものです。
他の人にとっては存在しなかった人の死でも、親である我々夫婦は一生覚えていたい。
生きていた間のエコーの写真やDVDだけではなく、より強い思い出となりました。
まだ人の死を理解出来ない娘には、短い期間でも弟が居たことをいつか話して聞かせたいと思います。
そして何より娘の存在が今回は大きかった。
元気な彼女が居なければ、妻も私も暫くは精神的打撃から回復出来なかった事でしょう。
その意味でも娘にも感謝しています。


一方現実面では、お骨をどうするかという問題がまだあります。
30代の私たちは墓を持っていませんし、妻の両親が購入済みの墓は水子は入れられず、また私の両親は墓を未購入。
よってお骨は暫く家に置いておく事になります。
私が自分達の墓購入を考えていると言うと、父はぼそりと「まだ早いよ」。
子供に先立たれる事程、親にとっては辛いものですから、その反応も当然でしょう。
それでも息子のためにも墓を買っておこうかと考えています。




残されたのは黒く燃え残った100円玉数枚、ちっちゃな骨数本とわずかばかりの灰、そして消える事の無い想い。